走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

考えがまとまらんので、ツイートもこのブログ書く事も出来ん

 題名のような体たらくなので、今日はツイッターも控えるしブログもこれ以上書けない。書いても書いても、急に嫌気がさしてなあ。ツイッターでもブログでも、考えがまとまらんでごちゃごちゃ言って、誰に相手にされるものか。趣味の話をしても食いつきが悪いし、今は時事を語れる状況じゃねえし。このブログでも、意図的に時事ネタは避けている傾向がある。いきおい似たような愚痴になってしまう、ならばしばらく黙っているしか。明後日までの予約投稿はしているものの、連休中はそれだけになりそう。考えがまとまらんのは、統合失調症の「連合弛緩」と言うものだろう。これが出たら、しばらく言葉が出ない。てなわけでこの辺にするけど、今日はこれからどうしよう? なんにもする気になれん。

ああ、頭を抱えなきゃならん話が……

 香川県で、ゲーム規制条例案が出た。はっきり言って、頭が痛い。条例案の影に樋口進と言う医師がいるのだが、こんな話が。

 ……なんて奴だ、この話だけで相当肝が冷える。とは言え、今のオレに出来る事はない! オレは今出来るだけツイッターの話題に関与しない事にしたのだが、つい見てしまったばっかりに……。

 「地方の、まだ成立してない条例ではないか」と言われそうだが「有害コミック」うんぬんも、地方の条例からでしたよねえ……。それを思うと、気が重い。助けて。そりゃ超党派の「MANGA議連」とかも動いているが、いやな予感はまだ消えない。この手の問題に疲れていい知恵が出ないのとか、いろいろあって。とりあえず、備忘録として書いておく。

三度目の愉快マンガ宣言

a-katu.hatenablog.com
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 上記ふたつの記事で「愉快マンガ宣言」をしたり「愉快って、なによ」と考察したりしたが、実際に愉快マンガは描けている。サブカルビジネスセンター(以下SBC)のツイッターにて「新豊玉三郎(しんほう・たまさぶろう)」名義で描いているマンガがそれだ。自分なりの「愉快」を表現出来つつあるのは、いい事かと。SBCだと、うちと違ってツイッターに耽らず創作出来る。適度な緊張感がねー。

 それにしても、SBCのツイッターでの連載『精神障がいエッセイマンガ』と『ある日の乗鞍家』だが、両方オレが描いているマンガなのに「それぞれ絵の雰囲気が違う」と言われる。マー、前者は出来るだけパソコンでの工程を少なくするように描いているけど、どっちもオレが描いてる事には代わりないじゃないの。もしかしてオレ、絵が上手くなった? ふふん。

 ところが、執筆に関しては今のところ問題がないけど、どう言うわけか、いまだにツイッターでのキーワード検索において「新豊玉三郎」で検索しても、大部分のマンガ*1を載せたツイートが出て来ない。別の方法として、「乗鞍家」のハッシュタグだと見られるものもあるが……。オレが何か悪い事しましたか!? と言いたい。他のSBC利用者によるマンガ作品もどうなんだろう? 筆名が没個性的な人もいる*2んで、それは調べてないが。いや、他人の疝気を頭痛に病む真似はすまい。それで何度も失敗したんだし。

 話を愉快マンガに戻そう、やっぱり実際に描かなきゃ見えないものはあるね。松本零士が「ひたすら描こう。理屈は百万回コネてみても理屈にすぎない」と言っていたが、そのとおりだった。いやはや。これからどうするか、どうなるかはまだ分からない。だが、一本でも多く、愉快マンガを描ければ……。

*1:厳密に言うと、昨年の11月5日よりあとに発表したもの。

*2:つまり、無関係なツイートも拾いがちで、こんがらがる。

ダバドベ、ドベドゥ!

 ツイッターから出来るだけ離れようとしている*1が、上手くいかない。バスの移動時間など、出先でつい見てしまう。いかん、いかんぞ! 他に楽しい事はないのかと思ったが、最近は絵やマンガを一時以上に描けるようになったものの、受動的な娯楽……人様の物語……を楽しもうとはしていないからなあ。はー、けっこうちゃーん! けっこうちゃーん! けっこうちゃーん! ……こんな風に、無意味なフレーズを突発的に書くのもオレにとっては娯楽なんだが、他人に見聞きさせられるものか? とは自分でも思っているよ。あと、今さらどうにもならないが、ツイッターで消費した時間が恨めしいから、こんな風にぼやいているのだ! ツイッターから有益な情報なども引き出せたけどよ、自分が消耗する方がより多かった以上、しばらくツイッターから離れるしかねえ。

 オレはエドワードガブロンビッケバッケンバードドドウータン7世でも、ましてやゴルゴンビョーラ3世でもねえ! ……言うな、単に言いたかっただけだ。「エドワードガブロンビッケバッケンバードドドウータン7世」は、『マカロニほうれん荘』に出たフレーズ。ちなみに今回の記事の題名にも関係している。「ゴルゴンビョーラ3世」は以前ツイッターで見かけたフレーズ。詳細は……やめとこ。説明がいちいちめんどくさい。またツイッターネタかよ!

*1:最近は主に、ここに書くまでもない短文を書くくらいか……。

精神的に楽に

 なんか精神的に楽になって来た。下の記事でも少し書いたが、絵に関し自信を取り戻したからか。

a-katu.hatenablog.com

 過去の絵を見ていて「過去のオレは、超えたな」と実感した時、急に苦しみが消えた。さて、明日はパソコンにスキャナーのドライバを入れて、新しく下絵を取り込めるようにしますかね。描いてたデジ絵が、尽きたし。

グリブラ、グリブラ、グリブラヲ

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 むかしのフォルダから引っ張り出した画像を貼っておく。夢の中に出て来た珍妙生物と、その時聞こえた声を起きてすぐ描いたものだが、なんだこりゃ。『南国少年パプワくん』の珍妙生物、タンノ君の出来損ないか? 謎すぎ。マー、夢なんてそんなもんか……。

 ほんでもって、パソコンにあった古い絵を他にも見たが、いやはや下手だった。人間、描き続ければ上達するもんだね。問題は、その「描き続ける」と言う事なんだが。そう言う環境をオレがなかなか持てなかったのは否定出来ん。家庭環境がなあ。それも含めて描き続けたのは、ある意味オレの勝利だったのかも知れない。なんに勝ったのかって? 2ちゃんねるなどでオレをこき下ろしてくれた、有象無象にですよ! そう思うと、だいぶ気が楽に。負けたと思うまで、人間は負けない。いや、負けても人生は続くから、そこから出直してもいいのだ。わはははは!

連休が終わるまで出来るだけツイッターから離れよう

 はあ、相変わらずロクな話がないので、連休が終わるまで出来るだけツイッターから離れよう。今のオレには、あそこのタイムラインは荷が重すぎる。『ラジプリズム』の番組ハッシュタグにいるのも、今やしんどいし。え? なぜですって? あの番組で中高生の惚れたはれたとか部活だとか受験だとか言った、オレが縁がなかった話を聞かされるのが辛いし、他にもいろいろ絡みにくくなったんだ! だから最近聴くのも辛い。そうやって、またひとりになろうとするのかオレは! とも思うが、オレがあの番組の他の部員(リスナー)や部長(パーソナリティ)の気分を害しているなら、付き合い方を考えんと。話をツイッター総体に戻そう、オレは昨今のSNSに合わないのかも知れないから、ツイッターも上手く使いこなせないような。ならばせめて精神が不安定な連休中は、ツイッターから離れるしか。その分、このブログでの発言が増えそうだけど。

 てなわけで、ツイッターから離れる。そう言う時に限って、恐怖新聞みたいにオレにとって重要な話が出て来るんじゃないかとも思うが、そう思って張り付いていても、あまりいい話なかったよな……。情報に振り回されるより、気を静める方が先か。

急に絶望が

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 昨日、こんな事書いていてなんだが、急に絶望が出て……。もう、自分の人生もより大きな状況も、どうにもならないような気がして。うちにいる時は、だいたいそんな気持ちと戦っている。それが家族や宗教などが植え付けた、よくない気持ちなのは分かっている! しかし、希望が見いだせんまま生きて来たので、どう考えを切り替えればいいか分からんのよ。最近は連絡取れる相手となかなか時間が合わないから、今の苦しみを訴えるのが難しくて。と、書いて気を紛らわそうとしたが、ますます気が滅入って来た。オレはどうすれば。前述の「連絡取れる相手と時間が合わない」件だが、平日の昼間に暇な奴なんてそうそういまい。アニメやマンガや小説と言った、受動的な娯楽を楽しめる状態でもないし、苦しい。これが持病なんだろうが、正直耐えきれん!

ライオン、ください! ……もとい、愛をください

 題名の「ライオン、ください!」は、山上たつひこ『ヨイショで満開』の1エピソードのサブタイトルだ。今回それは関係ない、オレの寂寞とした人生に一番欠けていたのは他者からの愛情ではないかと思い、つい。確かにオレを支えてくれた人や、助けてくれる人はいる。その人たちからの人情や愛情には感謝している*1が、それでも愛情への渇仰はあるのだ。「愛がなくても生きていける」とか、愛情をバカにした言葉に振り回されたが、そんなもんのせいでオレは……。愛情だけでなく、オレ自身をバカにしたり否定したりする言葉や暴力もさんざんばら……。

 以前「受け取るより、与えたい」と言う気持ちを吐露した事があったが、受け取っているものが少なければ限界がありそうだ。そう言う打算を抜きにしても、オレが一種の酸欠みたいな状態なので愛情を欲するのだろうけど。とは言え、愛されるだけの事をしたのかと言う問いかけがオレの中には。だから善行と愛情はバーターではないって。……これまた以前、愛を「口じゃ上手く言えないよ」と言った事があるのに、ごちゃごちゃ言いすぎた気がする。ちなみに、愛を「口じゃ上手く言えないよ」と言ったのは下の記事な。なんでそう思ったかを、次の段落で説明しとくか、いい機会だし。

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 愛情に飢えていたり、自分に他者に与えられるそれはあるのかと言う疑問があったりして「口じゃ上手く言えないよ」と。ところで、下のツイートについてだがね。オレも非モテとしてだけでなく、さまざまな罵倒や侮蔑を浴びて来た。それは「自己責任」だけでは済むまい……。

*1:行政などの福祉の制度は、愛情とは関係なかろう。と言うか、「お情け」で運営されちゃたまらん。

もし、32年前のオレに会ったら

 「ない事に時間取るな」と言ってしまえばそれまでだが、もし32年前……1988年のオレに会ったら、オレはどうしているだろうか? ……かつては「くびり殺してやる」とか言っていたが、今では優しくしてやりたいと思う。当時、誰も優しくしてくれなかったもんな。せめてオレ自身が優しくしてやらんと。たとえば「絵を描いてもオナニーしても、それが悪い事を起こすわけじゃない。お前は前後即因果の誤謬をしているだけだ」と、諭すとか。あと、オレの絵をいろいろ見せて、辛い気持ちを慰めてやらんと。と言うか、以前も似たような事言ってたろ、オレ。その時は「内なる過去のオレを、いかに慰めるか」と考えていたが、それが出来てないのか。なんてこった。過去のオレが1988年に宗教に救いを求めた事を責めているから、いつまで経っても苦しいのだ。マー、親父に「死ぬんなら、勝手に死ね!」と罵倒され、兄貴に「俺に悩み事を持って来るな」と言われ、趣味に耽る余裕も友人もなければ、どこかに救いを求めるのも無理はないんだが、宗教はねえだろ。しかしそろそろ、あの時のオレを許してやらんと、今のオレが辛い。とは言え最近は、むしろ当時家族に振り回されてた事が悔しいのだが。思い出したくないエピソードが多くて……。

 と、書いていて、宗教に走った事は「覆水盆に返らず」と思うしかないと言う気持ちに。いくらそこを責めても悔やんでも、過去はやり直せねえ。それより、内なる過去のオレを慰撫する事を考えんと。