走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

前に進まんと……

 それにしても、このブログ似たような事しか書いてないな。マー、日常生活に変化がなかったのと、オレ自身が過去を振り切れんのとが大きな理由なんだが。サブカルビジネスセンター(以下SBC)での話も、どこまで書いていいものやら探っていたら、SBCでエッセイマンガ描くようになってネタをそれに回さんといかんようになったし。あと、守秘義務もあろうから迂闊な事は書けん。しかし題名にも書いたように、それでも前に進まんと……。去年SBCに行くようになってから、セルフネグレクトの改善が見受けられるんだし。「オレなんか、もう死んだ方がいいんだ!」と言う気持ちはまだ残っているが、それと格闘せにゃ。

 とか書いていたらピカチュウの事が頭によぎり、気が楽に。いえね、晩飯にポケモンと言うかピカチュウはじめとするねずみ系のポケモンをあしらったカップうどんでも食べようかと思っていたら、連想して。ああ、ピカチュウは可愛い。「推しに癒される」とは、この事か。

いかん、悲しくなって来た

 またしても家族にこき使われていた頃の事を思い出し、悲しくなって来た。こき使われる上に、親父からは「死ぬんなら、勝手に死ね!」と罵倒され、兄貴からは「俺に悩み事を持って来るな」と言われ……。これで仮に外でヤンキー社会の最底辺で酷い目に遭っていたら……、宗教に引っかかった方がマシだったのかも知れんな。ビチグソとゲロ、どっちをすするかみたいな話だけど。

 「もう、その話はやめい!」と、お叱りを受けそうだが、呉の町を歩くと、どうにも暗黒の思春期前半を思い出してね。広島市に引っ越したいが、金銭的にも人脈的にもアテがない。なんでこんな事に。まるで岩と岩の隙間から出られなくなった山椒魚だ。だからなぜ井伏鱒二

 オレは呉にいる限り、幸せはない気がする。そう思ってさっさと家出でもしていれば、また違った人生があったんだろうが……。こんな愚痴を書くばかりではそれこそ幸せにはなれんけど、呉でのいやな思い出に押しつぶされそうなんじゃ! うう……。

記録は残さんと

 NHKらじる★らじるの聴き逃し配信で、『あけまして!「発掘!ラジオアーカイブス」~ラジオ放送開始95年~』を聴いたが、三木鶏郎の冗談音楽や横山大観が元旦に富士山を語る番組とか、実に興味深い。三木の冗談音楽で「兵器作って鼻つまみ」とか「無理な戦争、憲法引っ込む」とかあって、ドキっとした。前者は朝鮮特需を皮肉っているんだろうな。放送が1953年と言う事は、まだ朝鮮戦争続いていたし。後者は2020年の今、現実になりそうで。こんな事ばかり言ってたから、翌年造船疑獄がらみで政府に睨まれ、打ち切りにされるんだが。大観の番組では、1950年を「せんくひゃくごじゅうねん」と読んだり、今だと平安時代と言いそうなところを「空海・藤原時代」と言っていたりが興味深かかった。そりゃ、大観の芸術観も聴けたのだが……。1964年に『立体賛歌 オリンピックの年明け渡る』と言う番組では、当時ステレオのラジオなんかなかったから、二台用意して左右に配置しそれぞれ第1と第2にチャンネルを合わせ、真ん中で聴いてくれと冒頭でアナウンサーが説明していたのがなんとも。また、1978年のラジオの正月番組では、泉ピン子に正月の男湯*1に乱入させたり……。NHKですよ、民放じゃありませんよ!

 しかしこの番組を聴いていて思ったのは、記録は残さんとと言う事だ。それを思うと、現政権や「日本維新の会」の記録軽視とか、立花孝志の「NHKをぶっ壊す」とかがいかに酷いか! やれやれ。ぶっ壊されるべきは、立花孝志とそのバックの連中*2じゃっ! それはさておき、『あけまして!「発掘!ラジオアーカイブス」~ラジオ放送開始95年~』では大正15年の元日に大阪放送局がウグイスの鳴き声を放送したらこれが好評で、対抗して東京放送局は翌年の昭和2年から39年まで鶏鳴を正月にやってた故事を紹介、番組の終わりにも鶏鳴を流していた。『発掘!ラジオアーカイブス』、侮れんな。

*1:場所は、東京の御徒町

*2:たとえば、幸福の科学とか極右。

ぷにぅ童子! 日本国中隠れなきぷにぷにな子、ぷにぅ童子!

( ・3・)<正義のために決然と、貫き通すぷにの道。

 ……すまん、ぷにぅを使いたかったんす。それはいいとして、疲れたのでサブカルビジネスセンターを休む事にした。次に行くのが14日だから、今日を入れて5日ほど。3連休が絡んでねー。絵の課題やらいろいろあるので、5日間暇と言う訳ではないが、問題は例によって自己嫌悪と孤立感と希死念慮である。今はそれほどでもないが、3日目くらいからキツくなるのではないかと……。言っても仕方がない、絵を描かんと……。

はー……

 はー、けっこうちゃーん、けっこうちゃーん、けっこうちゃーん。

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 ……言うな、人生がいやになっての逃避にすぎん。反省しておる。「またいやになったんかい? 理由はなんやねん?」と問われても、こんな話を聞けば、そりゃ。

「父親が娘に性的暴行するシーン」を書いた小説家が「児童ポルノ製造容疑」で逮捕される - GIGAZINE

 埋め込み式にしなかったのは、トップ画像が気に入らんかったからだ。続報が待たれるが、件の小説を通報した奴は、はっきり言ってやりすぎや。この件に対し訴追取り下げの署名が集まっているのはいい事なんだが、カナダ人は「萌え絵」を敵視しているくせに、いざ児童ポルノ取り締まりが文章に及んだらずいぶん態度が違うじゃねえかと、ケンのある物言いもしたくなるわさ。確かに大ごとなんだが、オレは引っかかる。

 他にもツイッターで、『ドラえもん』のしずかちゃんの入浴シーンを問題にしている者が出たり、最初の児ポ法改定……いや、制定前夜……の時から取り沙汰された問題が今また出て来たよ……。ウッキャー! キリがないのよ! さらにフェミニズム宗教右翼にハイジャックされたり、世界の未来は暗い。

ツイッターとの距離

 しばらく連絡手段以外でツイッター使わん方がいいような気がして来た、いきおい聴いてるラジオ番組のハッシュタグへの参加も減る(実際減ってる)が、やむを得ん。と言うか、今はツイッターくらいでしか人とやりとり出来んわけでもなかろう。執着せんでもいいような。前にも言ったが、あそこのタイムラインなどで他者と「内面的なプラグ」が繋がったような錯覚が、ツイッター依存に拍車をかけたのだけど。それだけ嫌われ者だって事かよ! と、ひがみたくもなるが、それはやめましょう。ツイッターと言うより、他人が怖かったのもあるし。なんで怖いのかって? 意見や提言が通じなかったり、利用されたりが多くてはねえ。……書いてて悲しくなって来た、こうまで孤立した人生だったとは。そりゃ、ツイッター依存にもなるなと。だからと言って、ツイッターから離れてYouTube見たりネット小説や電子コミックを読んだりする気にはなれんが。もう、紹介されているものを選ぶのすらめんどくさいんじゃい。「どうせどれもこれも、ロクなもんじゃあるまいて」と言うあきらめもあって……。もはや過去に読めたり観られたりしたものを反すうするしかないのかもなと、これまた悲しく。去年『いだてん』を観る事が出来たのも、天狗倶楽部や金栗四三を知っていたのがフックになったからと言えるし。なんでこうまで見聞きしたがらないのか? 見聞きした「ロクでもないもの」に打ちのめされたからだろう、やれやれ。

 孤立を埋めるためツイッターに耽って、逆に世の中や自分の将来に対する悲観ばかり深めた。これではダメだ、適切なツイッターとの距離はどう見出せばいい?

怒りを鎮めるのも大変だ

 例によって、うっかり見たツイッターのツイートで頭に来て、その話をしようかと思ったけど、今までこのブログで何を言っても客観的な状況が好転したためしがない事を思い出し、とにかく怒りだけは鎮めようとして、やっと落ち着いた。なんのツイートで頭に来たかは聞くな、今言いたくない。

 と、書いてから「自分の機嫌は自分で取る」話に向かおうと、比較のためにオレのお袋が親父が機嫌の悪い時に言ってた「(親父の)機嫌が悪い時には、そのようにせんにゃ……」を書こうとしたら、両親に対する怒りからますます腹が立った。親父もお袋も、最低。話を「自分の機嫌は自分で取る」事に戻そう。いくらオレが怒っても誰も平伏も萎縮もしないんだから、怒る意味が見いだせなくなり自分の機嫌を自分で取るしかなくなったんだ。と言うか、「克森淳」として喜怒哀楽どれを表出しても、ほとんど相手にされなくなった……。トホホ。発言が炎上して手に負えなくなるよりはいいのかも知れんが、これでは何を言ったらいいか分からんのだ! と、嘆いた事数知れず。この記事にしてから、怒りから気をそらすために、とにかく何かしなければと思い書いてるし。途中いらんタイポがいくつか見つかったり、どうにも安定しない状態で書いている。自分で怒りを鎮めるのは、とにかく大変だ。

考えさせられる連ツイ

 ひさびさに書く事が出来たので、お付き合い願いたい。





 この連ツイを見て、考えさせられた。特に上から二番目。オレも「人間として相手を尊重しない、競争としての恋愛」に疑問を持って恋愛から降りたつもりだったけど、指摘されたようなラベリングをしてなかったか自信はない。いや、オレ自身にラベリングしていたのだろう。いろいろ女性関係でしくじり、自信を失ってねー。それはともかく話を進めよう、ツイッターに限らず非モテが蛇蝎のように嫌われる筋合いはない。個人の人格と恋愛を峻別した方が、分かりやすくなる事もあるんと違う? どこがどうとは思いつかないんだけど、少なくとも「モテない者に情けは無用」と言う考えからは自由になれるのでは。

 オレもハッキリ言って非モテだが、だからと言って恋愛などをさげすんでいい法はないと思い生きて来たつもりだった。それでも苦しくなるのはなぜだ? あるいは前述の「恋愛から降りる」と言う発想自体が、恋愛をさげすんでいた証拠か……。恋愛に対し、いいイメージを持てなかった人生だったとは言え、そりゃないだろう? 過去のオレ。また、恋愛をしないと言う事は、それだけ人間関係の構築や物の見方を狭める事*1でもある。そうまでしてオレが得られたものは、なんだ? 最近は何もない気がしている。だから上記連ツイで、いろいろ考えたのだが。32年前、家族にこき使われて、人間関係の構築もへったくれもあるかい! とも思うが、その後の人生がなあ……。前述のように恋愛も人間関係を広げる事と考えた場合、そこをしくじったオレっていったい? としか。これからオレ、どうしよう?

 「恋愛に対し、いいイメージを持てなかった」件だが、両親の仲が最悪だったのと、親父がミソジニーむき出しで「女騙せ、女騙せ」と言っていたりしたのと、「幸せな恋愛」を描いたフィクションより破局やら不幸な恋愛やらを描いたそれが印象に残っているのとと、いろいろ考えられる。上記三番目は、親父のせいと言えなくもないが。なにより家族以外の人間関係も最悪で、思春期に惚れたはれたどころじゃなかったのが大きいな。学校で孤立したり、宗教に引っかかったり……。なんてツイてない人生なんだ! 絵をはじめとした創作をしていなかったら、楽しい事などない人生だったろう。創作で、人間関係の再構築を図っている側面もあるしな。さりとて、繰り言になるが「これからオレ、どうしよう?」と言う不安や絶望感はあるのだ。

*1:この考えも語弊がありそうだが、オレの人生を振り返った時、そう言う側面で損したのはあるため、つい。

「選んだ孤独はよい孤独」再々考

a-katu.hatenablog.com

 上記記事に続き、「選んだ孤独」について。中学時代、ヤニ臭い同級生・同学年に学校での勉強まで邪魔され、いやな思いをしていた。だからと言って、奴らのヤンキー社会の最底辺で生きたくはなかった。バカみたいだし。これも「選んだ孤独」と言えなくもない。思春期において、これらの「選んだ孤独」によって得られたものもあったが、人間関係の構築に失敗した側面も否定出来ん。とは言え、学校における「みんな仲良く」と言う「教室の正義」が、スクールカーストやらヤンキー社会やらと言った副産物を生んでいるとも思う。それらに苦しめられていた身としては、どうにかならんもんかと。下記記事でも少し言及したが、なんらかの校内での社会に属さない者の居場所は、逆説的だが「みんな仲良く」からは生まれない気が。

a-katu.hatenablog.com

 繰り返すが、オレが「選んだ孤独」で救われた部分はあるけど、「選んだ孤独」と孤立は違う。オレは孤立に苦しめられた部分が大きく、それは今のオレにも悪影響を。長い間、人間関係を上手く構築出来てなかったりな。なので宗教に引っかかったり、女性関係で失敗したりと言う副産物まで……。これでサブカルビジネスセンターにめぐりあえてなかったら、オレはどうなっていたことやら。同人イベントにも居場所はなくなっていたし、創作意欲も落ちていたし……。確かに「選んだ孤独はよい孤独」かも知れんが、孤立はいかん。

怨念は吸い込まないのがいい

 ツイッターを見る時間を減らしたら、あそこに渦巻く怨念に当てられずに済み、かなり楽になった。やっぱり迂闊に、怨念を吸い込むもんじゃねえなあ。オレが苦しかったのは、怨念に当てられたからでもあろう。とは言うものの、世界情勢が一気にきな臭くなっちまった。ドナルド・トランプの横紙破り、ここに極まれりだ。カマヤン(id:kamayan)さんは、かつて自らが運営する掲示板に、「イラクとの戦争は支持しないし、イランとの戦争はもっと支持しない」と書いていたが、イランにケンカ売っちゃったよ、ドナルド・トランプは。オレには世界情勢は読めないが、あの変顔大統領のせいで、世界が迷惑だよーっ! とは言える。今年は去年よりいい年にしたかったのに、どうなります事やら……。これで数年前並みにツイッターに耽っていたら、生きていられなんだかも知れない。つるかめつるかめ。