ひさびさに書く事が出来たので、お付き合い願いたい。
自分だって厳密な分類から言えば非モテ認定されない人間かも知らんけど、かといって他人が「非モテはこれだから……」と蔑まれ続けていい気分は全然しないし、そんな言葉を聞き続けた人間がどんどん人格歪んでいったとして、それは当人の責任なのかよ、てことは思わんでもないっすよ。。。
— あきひろ (@Werth) 2020年1月5日
「人間として恋愛相手を尊重できない人間が恋愛で成功しようと思うことは邪悪で倫理観に反することだ」てのはある程度同意できるんですけど、では「非モテが恋愛で成功できないのは恋愛相手を尊重できないからだ」ていうのはラベリングなんじゃないかと思うんですよ……。
— あきひろ (@Werth) 2020年1月5日
非モテに対する過剰なdis、公正世界信念(社会において、最終的に正しい者が成功し、悪い者は罪を問われる、て世界観)の色彩が非常に強いと思うんだよな。お前が報われないのは、お前が正しくないからだ、という心理。
— あきひろ (@Werth) 2020年1月5日
悪いけどそういう人としての有り様の善悪とモテ・非モテってあんまり関係ないと思うよ。というか恋人お持ちの皆様、自分達のことをそんなに高潔で素晴らしい精神の持ち主だと信じていらっしゃる?
— あきひろ (@Werth) 2020年1月5日
いや逆か、自分ごときでさえも恋人が得られるのだから、恋人が得られない人間にはより致命的な人間的欠陥があるに違いない、みたいな話なのか……(それはそれで救いがない)
— あきひろ (@Werth) 2020年1月5日
この連ツイを見て、考えさせられた。特に上から二番目。オレも「人間として相手を尊重しない、競争としての恋愛」に疑問を持って恋愛から降りたつもりだったけど、指摘されたようなラベリングをしてなかったか自信はない。いや、オレ自身にラベリングしていたのだろう。いろいろ女性関係でしくじり、自信を失ってねー。それはともかく話を進めよう、ツイッターに限らず非モテが蛇蝎のように嫌われる筋合いはない。個人の人格と恋愛を峻別した方が、分かりやすくなる事もあるんと違う? どこがどうとは思いつかないんだけど、少なくとも「モテない者に情けは無用」と言う考えからは自由になれるのでは。
オレもハッキリ言って非モテだが、だからと言って恋愛などをさげすんでいい法はないと思い生きて来たつもりだった。それでも苦しくなるのはなぜだ? あるいは前述の「恋愛から降りる」と言う発想自体が、恋愛をさげすんでいた証拠か……。恋愛に対し、いいイメージを持てなかった人生だったとは言え、そりゃないだろう? 過去のオレ。また、恋愛をしないと言う事は、それだけ人間関係の構築や物の見方を狭める事*1でもある。そうまでしてオレが得られたものは、なんだ? 最近は何もない気がしている。だから上記連ツイで、いろいろ考えたのだが。32年前、家族にこき使われて、人間関係の構築もへったくれもあるかい! とも思うが、その後の人生がなあ……。前述のように恋愛も人間関係を広げる事と考えた場合、そこをしくじったオレっていったい? としか。これからオレ、どうしよう?
「恋愛に対し、いいイメージを持てなかった」件だが、両親の仲が最悪だったのと、親父がミソジニーむき出しで「女騙せ、女騙せ」と言っていたりしたのと、「幸せな恋愛」を描いたフィクションより破局やら不幸な恋愛やらを描いたそれが印象に残っているのとと、いろいろ考えられる。上記三番目は、親父のせいと言えなくもないが。なにより家族以外の人間関係も最悪で、思春期に惚れたはれたどころじゃなかったのが大きいな。学校で孤立したり、宗教に引っかかったり……。なんてツイてない人生なんだ! 絵をはじめとした創作をしていなかったら、楽しい事などない人生だったろう。創作で、人間関係の再構築を図っている側面もあるしな。さりとて、繰り言になるが「これからオレ、どうしよう?」と言う不安や絶望感はあるのだ。
*1:この考えも語弊がありそうだが、オレの人生を振り返った時、そう言う側面で損したのはあるため、つい。