走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

オマエンタパヤパヤとか!

 題名は気にしないでくれ、景気づけをしたかっただけじゃ。それにしても、昭和ガメラのテーマ曲『ガメラマーチ』の歌詞はいいな。バルゴンの背中から出る虹を「日光さえぎる 悪魔の虹だ」とか、ギャオスの超音波メスを「月光破る 殺人音波」とか。なんて言うのか、形容が綺麗だね。昭和ガメラと言えば『ガメラ対冷凍怪獣バルゴン』以外はすべて湯浅憲明が監督しているのだが、かつて湯浅憲明についてこんなツイートをした。

 いささか愚痴っぽいツイートもあるが、さておきオレはどうやら湯浅憲明監督作品が好きなのにやっと気づいた。現代劇と言う舞台で軽やかなファンタジーを撮れる人って、貴重なんだと亡くなってだいぶ経って気づくとは。マー、コンテンツは増えても意外と描いている範囲が小さくなっている今だから、湯浅の凄みが分かったのかも知れんけどさ。……と、書いて放置していたが、さらに湯浅憲明について書こうにも、そう出来なくなった。いろいろあって、しばらく特撮について語るのはよそうと思ったんだよ。それについて、多くは聞かないでくれ……。

SNS時代で見えるもの、見えないもの

 昨日、サブカルビジネスセンター(以下、SBC)の懇親会があったのだが、その席でオレがSBCのツイッターで発表している『精神障がいエッセイマンガ』をいたく気に入ってくれてる方に出会った。もう、嬉しい事嬉しい事! その方からも「そんなに嬉しそうなあなたは、はじめて見た」と言われるくらい、はしゃぎましたよ。懇親会の内容や、エッセイマンガを気に入ってくれてる方との関係は略すが、この件でつくづく思った事がある。「SNSで作品を発表すると、いいねなどそこでの数値に目が行きがちだが、その分閲覧者がどう気に入ってくれてるかは見えにくい」と……。とは言えオレの作品を気に入ってくれてる人は、ひとりではなかろう。そう思うと、描いた甲斐はあったし、描き続けたいとも。

 昨日は懇親会でエッセイマンガの評判を聞くまでかなり落ち込んでいたのだが、いい評判を聞き一気に精神が回復した。我ながら単純だと思うが、作品を見てもらえて好評まで得れば、表現者は嬉しいんだよ。ただし、前述のようにSNSで作品を発表していると、目に見えるいいねなどの数値に気を取られがちだが。それだけだと分からないものもあると肝に命じなければ、自分を見失い大火傷しそうで。ところで以前、負次郎氏から「克森淳の名を惜しんでください」と言われた事があったが、懇親会での出来事を機に自分の名を惜しんで生きる必要性は強くなった。細く長く創作を続けるには、それは欠かせない事なんだよな。してみると、あまりにオレは捨て鉢すぎた。あらためねば。と言って、この記事終わる。

続々・140文字の2ちゃんねる

 前から下記記事などでツイッターを「140文字の2ちゃんねる」だと言っていたものの、むしろ日本のネット文化が2ちゃんねるに毒されすぎて、どこもかしこも2ちゃんねる化したのではないかと……。

a-katu.hatenablog.com
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 「どこもかしこも2ちゃんねる化」と言うのは、言いすぎかも知れん。単にツイッターの日本法人の面々が、2ちゃんねる的なネット文化に毒されているだけかも知れない。なんでそう思うかと言うと、苦情の無視のしかたなど、どうにも2ちゃんねる的なものを引きずってやしないかと思ったんだよ。「嘘を嘘と見抜けないようでは」ふんだららとか「ネタにマジレスカコワルイ」とかをいまだに抱えてなければ、ああまで苦情を無視は出来んぞ。こう言う意見もあるし。

 ユーザーが2ちゃんねるを引きずってる*1のは、もうどうしようもないが、運営はもうちょっとしっかりしてくれ……。

*1:往年の2ちゃんねるを知らない人も増えたが、残した物に引きずられているネット民もまだ多い。

ふと思ったこと

 かつて、ゲーム誌の読者欄のイラストコーナーからオレの好きなキャラの絵が減っていった時「こうなったら自分で描くしかねえ」と少しでも思ったのが今も絵やマンガを描いている原因なんだが、なんで「自分で描くしかねえ」と思ったのか? を考えてみた。まず「仮にゲーム誌の投稿人に描いてくれとねだっても、向こうがオレのために描く義理も何もねえな」と言うのが先に立っていたのだ。「ねだっても得られるとは限らない」と言う感情があったんですな。それならさっさと絵を描く事をはじめてりゃよかったものを、当時のオレは「絵を描くと、悪い事が起こる」と言うジンクスを信じ込んでいて、実際に絵を描くまで時間がかかった。「何をいちびっていたのじゃ、当時のオレは」と長らく思っていたけど、そのジンクスに固執したのは、家族の無理解により萎縮していた故な気がしないでもない。落ち込んでいたら家族に「死ぬんなら、勝手に死ね!」とか「俺に悩み事を持って来るな」とか言われて「自分の事は自分でするしかない」と言う気持ちが強くなってたのも事実だが、絵描きの実践まで紆余曲折があったのが悔やまれる。それが何かは詳述しない、いくら言っても過去がオレの都合のいいものになるわけじゃないもんな。

 「自分の事は自分でするしかない」と言う気持ちが、自分の楽しみを自作しようと言う方向に向いたのなら、いい事だとは思う。DIY精神ですかね。最近は絵を描く事に不安があった*1けど、ちょっと原点のひとつを確認したら、不安に対峙出来るように。思えば「絵を描く事で起きたいい事」も多いし、助かった。と言うわけで、気持ちも新たに創作が出来る。下記記事できつい事を書いたが、オレの強がりの癖だと思ってくれ……。そんな強がりをせんでも、創作は出来るんだし……。

a-katu.hatenablog.com

 さて、この記事を書いている時は風呂を沸かしているんだが、沸いたら風呂入ろう。

*1:これも詳述しない、言ってどうにもならなかった話だし。

もう「笑顔の仮面」を脱ぎ捨てた方がいいのかも知れない

 近頃は自分の考えを隠すため「笑顔の仮面」を着けていたが、それをそろそろ脱ぎ捨てた方がいいかも知れない。いえね、いろいろあって、自分の考えや言い分を世に残す方がいい気がして。巨匠ふんだポコリ。関係ない事言うな。話を戻して、オレはこのところ諸事情により自分の考えをストレートに打ち出すのは避けていた。特に創作において。しかしそれでは天地がすぎゆく。要するに寿命を迎えてしまう! それで納得出来るんかと自問すれば、否である。長谷川町子が『サザエさん』では様々なしがらみでやれなかった事を『エプロンおばさん』や『いじわるばあさん』でやったように、オレも笑顔の仮面の下にある顔を出した創作をやった方がいいかも知れんと。克森淳名義ではカドが立つかも知れんから、別名義で……いや、長谷川町子長谷川町子名義でエプロンおばさんやいじわるばあさんを描いたんだから、そんなセコい真似をしてもな。

 マー、ここで「何を描きたいか」を話したら「感想の前借り」になったりいろいろ不都合があるから、さっさと描かんと……。正直、残された時間は、あとわずかだ。

どうにも頭が働かない

 今日はどうにも頭が働かない。ここ数日間の疲れが出たのかも知れんが、いくらなんでも。厳密には頭が働かないのか、なんにもしたくないのかは分からんけど、思考や行動が上手く出来ん……。こう言う時、どうしたものか。一時間近く寝ていたけど、頭が働かないし利き腕たる左腕も痛いし。

 この記事だって、上手く書けてない。考えが散漫で、文章がまとまらんのだ。この記事を書き終えたら、今日はブログ書かねえ。なんでこうまで、頭が働かないんだ。

自分の出来る事がある幸せ

 サブカルビジネスセンター(以下、SBC)では、なんのかんのとオレに出来る事、任される事があるのがありがたい。24年前、殺されかかった勤め先とはえらい違いや。と言うか、長年環境が悪すぎて萎縮していたのだ。殺されかかった勤め先だけじゃなく、他のところでも何をやっても上手くいかず……。おまけに悪い奴に目を付けられたりして、苦しい思いをする事が多かったし。正直言うとSBCに入る直前までの数年間、何度か自殺を考えましたからね。オレの事を心配してくれる人たちがいたので、踏みとどまれたけど。SBCに入ってから、自分の能力と言うものがキチンとあった事に気づけて、だいぶ精神的に安定したし。能力至上主義でもないけど、それまでの職場で無能として冷や飯食わされていた時と違って、自分の出来る事がある幸せを嚙みしめたらそりゃ。

 と、書いたあと「オレが仮に親父の言うように絵を描く事に見切りをつけても、ひたすらバカにされて生きるしかなかったろうな」と書こうとしたが、そう思ったら気が滅入って来た。いかんいかん、こう言うところから持病が重くなるんだ。と言うか、親父はじめ世間のDQNに苦しめられて来た期間が、オレを歪ませてる。そんな事を思い出すなとは言えんけど、振り回されてもな。それに、今までにない面白そうな事をするために、SBCに入ったんやないか。そこで自分の出来る事があったんだから、もっと素直に喜べよ。

 オレが生きて来た環境があまりにも粗暴すぎて、そのため自分の命や価値を軽視していたので、正直今の状況の良さに戸惑っているのはある。しかしそれでは、いろいろ台無しだ。題名に書いた「自分の出来る事がある幸せ」を噛みしめないと。

また、何日か沈黙する

 急に気が滅入って来た。気温の急低下や気圧のせいだろうけど、今や空元気も出ない。また何日か沈黙しよう、ネットで書き物する気力がない……。

 しかし、今月はやたらにブログ書きを中断する期間が多いな。それだけ精神的に参っているんだろうけど、対策はない。ツイッターも、げんなりする事が多くて見る気がどんどんしなくなってるし、思ったより重症だ。繰り返すけど、対策はない。うつ状態がきつくなってる以上、難しい話は出来んしねえ。

 とか書いていたら、頭痛と倦怠感が。これ以上この記事を書く事は出来ん、しばらくさらばだ。

人生をあきらめそうである

 急になんもかんも嫌になり、人生をあきらめそうに。別に今日は嫌な事があったわけでもないのに、なんでよ。おまけに今、辛い過去の光景がフラッシュバックして来た。これはあまりに苦しい時期が長すぎ、今の相対的にいい時期を信用出来てないからかも知れない。なんて事だ。マー、勤め先で殺されかかったり、他にもいろいろ辛い思いをしたら、無理もない。だからと言って、今人生をあきらめてどうなる。ちくしょう。

 とか言っていてもフラッシュバックは続くし、目眩までして来た。助けて。

カマヤンさんとの会話から

a-katu.hatenablog.com

 上記記事で『鬼滅の刃』の「遊郭編」について少し触れたが、オレの周りで「人の親として、この問題に向かい合ってそうな人」でカマヤン(id:kamayan)さんを思い出しツイッターのDMで聞いたら、お子さんから遊郭についての質問はなかったとのこと。そこから性教育についての会話になった時、彼から「矯風会系のフェミニスト」と言う言葉が出て、ここ数年の「フェミニスト」への疑問が氷解していくのを感じた。矯風会的な教条主義と言うか性嫌悪*1が、どう言うわけかツイッター上のフェミニストを自称する者の多くを動かしているかも知れんと。そうなると「表現規制反対派」*2が感情的にフェミニストフェミニズムを叩くのはどうなのよと言う気はする。それはフェミニズムの主流を指弾してるのかとか、いろいろとね。オレも「もういい! もう、たくさんだ!」と思って以来、その辺を注視しているわけじゃないけど、思ったところを書いておく。もうちょっと言うと、矯風会的な考えこそ最初に引用したブログ記事にも書いた「貧相な理想」でしかない気はするけども、だからと言ってどうすればいいかまでは分からん。分からんから何度も話をぶん投げたし、拾って繋げてくれた者もまだ。

 と、書いたところで、話が続かなくなった。ツイッターでの争いに出来るだけ関わらないようにしていたのもあるし、何度も言うけど話を広げてくれた*3者もおらんし、何よりオレは持病の統合失調症から物を言うのが苦痛だった時期が。それをいまだに引きずってるので、話をまとめるのも難しい。そんなわけで、この記事もここまで。

*1:それは矯風会系だけじゃなく「性をこじらせた」故もある者もいると、カマヤンさんは指摘したが。

*2:思うところあって、カギカッコを付ける。

*3:「意見を交換した」者ではない。