走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

SNS時代になって、浮き彫りになった孤立について

a-katu.hatenablog.com

 上記記事で「SNS時代になって浮き彫りになった孤立」について書くと言ってたのを思い出したので、拙いながら書く事にした。単に付き合う相手が減ったから孤立したのかと思っていたが、SNSでどいつもこいつもいらん事まで言うようになったため、心の壁がより高くなったのではと言うのが第一の仮定。この仮定は、オレがSNSとして想定しているのが、ツイッターと言う猖獗を極める場所だからかも知れないが……。だって、Facebookもインスタグラムもやってねえもん。前者は実名で仕事してる者が使うようなものであって、オレの使うものではないと意固地に思いこんでいたためタイミングを逃したし、後者はいわゆる「ばえる」画像を持ってないし……。第二の仮定として、オレがSNS……と言うかツイッター……疲れを起こしたのかも知れんと言うのが考えられる。対話出来る相手を新規に見つけるのがきつかったり、異論を相手に言っても無視されたりでは。どちらも、オレ個人の問題な気がするが、最近のツイッターは、もう会話の場足りえないのかも知れんとも。いえね、込み入った話をしたければDM……ダイレクトメッセージ……があるし、タイムラインで他人に呼びかけると辻斬り合戦が勃発しがちだし。「内輪のバカ話」にはもってこいなんだが、あいにくオレは入り込める内輪も少なければ、オレのバカ話に付き合ってくれる者も少ないんだ。だから最初に「単に付き合う相手が減ったから孤立したのか」と……。これで終わらせたら、オレがのけものだからと言う結論になりそうなんで、無理して話を引っ張る。

 ツイッターに限らずSNSは、時折繋がるべきでない者同士を繋げてしまう場合があるので、いらん争いが起きがちだ。特にツイッター。そんなSNSでも、人との繋がりが希薄なオレはなんなんだ。だからのけものなんじゃないかと言う不安があって。去年からサブカルビジネスセンター(以下、SBC)に通っていてよかった、そうしてなかったらSNS上の孤立に耐えられず狂っていただろう。繰り返すが、SBCの門を叩くきっかけはツイッターで見つけたので、本来SNSとはそう言う事に使うものだったはずだ。なのにツイッターは、今や「140文字の2ちゃんねる」になったし。これも繰り返すが、そんな場所にしか居場所がなかったオレはなんなんだと。他人との繋がりを大切にしなかったせいか、あまりに他人から酷い目に遭わされた過去に打ちのめされてたせいか……。言うだけ無駄な気がして来たが、つくづく人間関係構築能力に難のある男だな、オレって。

 ここまで書いて、繋がってるようで繋がってないのがSNS上の関係なのかもと思うように。それを感じていた上に、SNSやる以前からの人との繋がりの希薄さを思い知ったため、こんなこじらせた記事を書いたのかも知れない。実際、ツイッター以前から付き合いのある方とはツイッターでも関係が続いている事多いし。それでも、人間関係がSNSでもリアルでも希薄なのだが。完全に孤立していた頃よりは、ずっとましだけどよお……。

なんでこんな夢を

 笑福亭鶴瓶トーク番組をやるために朝日放送に行く夢を見た事があったが、なんでこんな夢を? パペポTVが忘れられんのか、そんなに。ニッポン放送の『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』を聴くんじゃ、だめか? オレ。しかしトークの相手が鶴瓶と言うのがオレらしい。上岡龍太郎は引退したのを完全に受け入れてるのか、単にかなわんと見たか。

 夢と言えば、最近さすらう夢をよく見る。正夢にならねばいいが。

「悟りを開け」と言う欺瞞

a-katu.hatenablog.com

 上記記事で、オレが色恋から脱落した者に対し「悟りを開け」みたいに考えている事に腹を立ててるみたく書いたが、それは欺瞞でしかない気がしているからだ。オレも色恋をあきらめてから「別の幸せ」を探そうとしたが、それを自分だけが実践するのはいい! だが、他人とか世間が言い出すと、押し付けになりはしないかと。確かに、人の幸せは恋愛だけにあるわけじゃないが、恋愛以外の幸せにもありつけなかったら、どうしろと言うのか。「悟りを開く」事で、幸せになれるとは限らないし。この場合の「悟りを開く」と言うのは「希望を持つな、だが絶望もするな」と言うようなもんで、仏教の悟りとは違う。だからカギカッコでくくっていたんだが……。

 ところで、色恋をあきらめ「別の幸せ」を探した話だが、まだ見つかっていない。絵を描く事や勉強でさみしさを紛らわしているが、それさえもいつまで続くか、わからないものでございます。あと、オレの色恋をあきらめた事への後悔は、オレ自身の人間関係の希薄さへの慚愧の念の一部なんだよな。それが「悟りを開け」で埋まらんのを気づいて、ここまでぐずぐず言っていたんだよ。オレの人生が、あまりにもあまりにも世間一般の物差しに当てはまらないとは言え、ではどうすればいいのかが全然見えんから、つい。見えていたら、こんな記事書いてないんだけど。

文章に慣れてない者にネットが与えられた不幸

 思うに、ネットが普及するまでは筆不精だったり進んで本を読む事がなかったりする者が多かったのに、ネットの普及で多くの者が文章に対峙せねばならなくなったのではと。オレはネット上で筆まめになったので、他の人にもそう言うのがいそうだと楽観していたが、甘かった。スマホの普及で、読み書き両面で文章に慣れてない……悪く言えば読解力のない……者にまでネット内のあれやこれやに参加出来るようになっちまった! ツイッターはじめとするSNSでの醜い争いは、その辺にもあるかも。また、YouTubeなど動画サイトの台頭は、技術的に動画を配信するのが楽になっただけではなく、意外と世間の人は本を読まない事もあるのでは。文章に対峙するのが辛い人たちが、一斉に飛びついたと言うか。それは動画サイトでのクソヘイト動画隆盛にも繋がるんだけど、そこまでは触れない。

 前段落では読むとか見る事を中心に書いたが、文章を書く力もネットやってる者でピンキリだ。読解力のないまま曲解して、おまけに文章力がない者が書き物すれば……えらい事になるわなあ。正直、議論に参加する前に文章の読み書きを勉強し直した方がいいのではと思う書き込みも見るぞ。どこの誰とは言わないけど。そりゃ文章力は書かなければ身に付かないが、書く力を付けようと思わず罵倒ばかり書いてたら上手くなるものも上手くならん気がする。そこはオレにも言えようが、あまり言うと「内輪から火を出す」事になるので割愛。

 そもそも「普通の人」は、そんなに文章を読んでないんじゃないかと言う疑問からスタートした話だから、そこが崩れたら意味がない記事なんだけど、話を続けよう。かつて週刊金曜日斎藤貴男が、ネットを「人類には百年早かった」と言った事があるが、それはオレの仮説と併せると教育の敗北だと言わんばかりの話になって非常によろしくない。週刊金曜日に限らず、左派の文明忌避には辟易していたが、こうしてみるとその理由が見えて来た。見えたってちっとも嬉しくないがな……。だってそれからどうすりゃいいかは、例によって全然見えてこねえもん。トホホ。

今日はもう、書き物出来ん

 頭が全然働かんので、今日はもうネットで書き物出来ん。この記事でしまいだ。とは言え、ふと思った事を散文として書くしか出来んがな……。

 散文その1。かつて、昭和が終わった日*1に、テレビの特別編成に飽きた多くの人がレンタルビデオ屋に殺到したと言う。この頃に比べて、日本人は劣化してないか? と思うわけよ。一見、価値観が多様化したように見えるが、前述の昭和の終わりの日みたいに「メディア笛吹けど、視聴者踊らず」と言う事は減ったんじゃないかと言う気がしてね。去年の改元の日の「正月と大型連休がいっぺんに来た」としか言えないあの騒ぎを思い出すと、ねえ。もし平成の終わりが昭和と同じだったら、多くの人がSNSでテレビの特別編成を実況し、それに集まってしまったのではと言う不安が……。「自分の見たい映像ソフトを見る」方が、SNSでの実況に集まるより多様性があるのでは。娯楽が今より少ない時代と比較しちゃいかんと言われそうだけど、どこに人が集まっているかの問題なので……。

 散文その2。昨日、中1数学の問題集の「実力完成問題」をやったが、後半の14個の問題中6個も間違えていた! しかも間違いの半分は、その前にやった「基礎力チェック問題」での間違いと同じ事をした……。ノートをチェックして、復習しときゃよかった……。問題をやりゃあ、いいってもんじゃなかったんだな。今さらだけど。

 散文その3。ついに、ニンテンドースイッチの「Nintendo Switch ONline」でスーパーファミコンのソフトをダウンロードした。まだクリアしてないソフトあるのに。しかし『デモンズブレイゾン』や『SUPER E.D.F.』とかが面白くて……。前者はファミ通クロスレビューで合計30点超えなかったのが信じられんかった*2し、後者は横スクロールシューティングの佳作だった。問題は、いつ遊ぶ時間を作るかだな……。結構忙しいのよ。と言うわけで、今日はこの辺で。

*1:要するに、昭和天皇崩御のあの日。

*2:いや、ファミ通クロスレビューに比べたら、N線の実在の方がまだ信じられるかも知れん。

大衆に受けるのを意識するのがマンガ家だからって……

 ふと思ったんだが、小林よしのりがああなったのは、彼が大衆向けマンガを描いていたのと関係がありそうで。おそらくゴー宣やってるうちに「日本の大衆の保守性」みたいなものの尻馬に乗った方が得だと判断した結果が、あれや……。そんな小林の劣化コピーみたいな奴らが、ここにもそこにもあそこにも! 嗚呼。題名にも書いたが、大衆に受けるのを意識するのがマンガ家だからって……もう! 「もう!」じゃねえよな、オレにもふりかかる問題だし。一大衆として、一表現者として、このままでいいのかと。しかしオレひとりがどうこう言ったって、客観的な状況が改善するわけじゃないので頭を痛めている。やっぱり表現するしかないのかなあ、自信はないけど。毒にも薬にもならないエロ絵を描いてばかりいないで、もっと警世家ぶった作品を……。と、書いていて、アへアへ声を全部オレの主張にしたエロマンガはどうだろうと思ったが、それこそいらんとんちだった……。そんなマンガ読みたくない。

 と言うか、迂闊に「こんな作品どうだろう」と言うのは、まずい気がする。それが気に入らない者に悪し様に言われたり、誰ぞの言う「感想の前借り」になったりして、描けなくなる可能性大だ。貝塚ひろしの言うように、マンガは実際に描いたもん勝ちだから、黙って描くしかねえ。幸い、ノウハウは数年前より向上してるはずだしな……。それ以前に、日本の大衆の保守性を見て見ぬふりしていたオレの問題があるけど。そこは日本の左派の宿痾でもあろうが、今はオレ自身の問題として扱う。おそらく長いこと孤立したせいで今も人間関係が希薄なため、大衆の保守性が見えなかったか見えても認知出来なかったかがありそう。人間関係の希薄さは、この件以外にもオレに暗い影を落としているんだが、それは別の話なんで割愛。話を戻せば、今や大衆の保守性におもねれば「ネトウヨ」になるし、そこを指弾したら大衆に反発される。後者は、誰だって自分の悪口見聞きしとうない事から演繹したんだが。大衆の保守性にあらがうってのは、出来ない相談なんかなあ……。あきらめきれんから、自問するしかねえけど。

林髞(はやし・たかし)は変すぎる

 頭脳パン考案者で、木々高太郎名義で探偵小説家もやっていた学者の林髞宮武外骨の義理の娘に言い寄っていたと知って、Wikipedia*1頭脳パン関連の資料を調べたら、題名のような結論に。Wikipediaがどこまでアテになるか分からないが、明らかに優生思想剥き出しな持論をぶったり、頭脳パンの背景にはアメリカの穀物メジャーがあったり……。マンガよりマンガ臭い人生だ、林のそれは。

 世の中、こんな人もいるもんなんですねえ。

*1:項目は、木々高太郎

おおおおお~! 悶々とする~!

 昨日からムラムラ来てるが、若い時分と違いオナニーも辛い。こう言う悶々としてる時にエロ絵なと描けばいいのかも知れんが、既に何枚か描いてるし。マー、ムラムラ来るのもエロ絵を描きたいと思うのも、理屈だけでどうこう出来るもんじゃないけど。理屈であって、理性ではないぞ。

 オナニーも辛いし、ましてやセックスも出来んとなれば、オレの場合エロ絵に向ければいいんだと思うが、絵を描くと言う事をしない者はどうしてるんだろう? なんかそう言う者が、大っぴらにセクハラトークをするんじゃないかと。偏見ですがね……。偏見はさておき、オレはエロ話が出来る相手もそんなにおらん。だからエロ絵を描くのだけど、友人知人他人との話題があまりに少ないのにげんなりする。ネットでのやりとりの主体が個人の管理する掲示板だった時代はそうでもなかったが、SNS時代になってオレの孤立が浮き彫りになって来たような。だから悶々とした時、余計にさみしいのかも知れない。金と健康が潤沢にあれば、さみしさを埋める術もあるだろうけど。結局、話がそこに。

 前述の「SNS時代になって浮き彫りになった孤立」については稿をあらためてまた書くけど、問題は悶々とした時にどうすればいいかだ。最初に書いたように、理屈だけではどうにかならん話だから、慎重にならんと。理屈だけで考えても、自己嫌悪しか残らんわい。それをもうちょっと早く気づいていれば、考え方も変わったろうが。とか書いていたら、いろいろ腹が立って来た。何に対してかは言わない、余計に腹が立つでな。特にオレがまだ、色恋から脱落した者に対し「悟りを開け」みたいに考えているところにな。そこも、別の機会に稿をあらためて。やれやれ、今回も理屈っぽくなってしまった。

書くに書けなくなった

 むかし引っかかった宗教に、趣味嗜好まで支配されるのをよしとした時の事を書こうとしたが、辛くなって書くに書けなくなった。それ以前に、家族の趣味に対する無理解などがあって不安だったとは言え、あんまりだろう! 反社会的勢力や宗教は、人の不安につけこむのが上手いからなあ。だから雁屋哲が『野望の王国』で「追い詰められた者が行き着くのは、ヤクザか宗教」みたく言ったんだろうが。

 宗教に引っかかる以前にあった自分の趣味への不安についてなら、少しは書ける。家族は無理解だわ、近所に話が出来る相手はおらんわ、文通でもしようかとして失敗するわ……。最後の文通の件については、墓まで持っていくつもりなんで書かないけどな。家族の無理解については、このブログでさんざんばら書いたから「近所に話が出来る相手はおらん」件について。ヤンキーか、それ未満のヤニ臭い連中ばっかりだったり、話せそうな相手にも「彼と話すと、悪い事が起きる」と思って近づかなかったり、悪い要素がかさなったんだ! なんであの頃オレは……。のちに広島市内のゲーセン通いをするようになって完全な孤立からは救われたが、それまでの間である思春期の前半を棒に振ったのは否定出来ん。だからオレは孤立を恐れているんだ、孤立はオレを狂わせたからな。なのになんで……言うまい。言ってもどうにもなら~んうーたーん! ……あまりいいノリとは言えない文体になって来たな、それだけ今も、苦しんでいるんだろうけど。

 と言うか、テレビやマンガ雑誌やゲーム誌に至るまでが「よい子は友達と外で遊ぼうね」と言うのを強調しすぎた時期があって、それが出来ないオレはそのドグマと言うか押し付けが耐えられなかった。ファンロードは若干ニュアンスが違っていたが、それでもなあ……。この辛さや悲しみ……いや、怒りをどこにぶつけてくれよう! もうどうにもならないかも知れんが、どこかにはけ口がないと、これからもやり場のない怒りと悲しみが襲って来た時困る。実際困ったから、こんなに恨みつらみを書いてるんだし。……絵やマンガに叩きつけるしかねえかな、上手く行けば世の中のクズマンガ家ども*1同様、虚名を売る事が出来るやも知れんからな。

*1:差し障りがあるので、名前は出さない。変換候補に残すのもはばかられるし。

目が三つ、手が一本、足が六本なーんだ?

 題名のなぞなぞの答えは「馬に乗った丹下左膳」だ。なんでこんななぞなぞを引っ張り出して来たのかと言うと、以前サブカルビジネスセンター(以下、SBC)で聞いた話がきっかけで考えたある事に繋がるのだ。その前に、SBCで聞いた話を説明しよう。講師がある利用者に、少し前まで『パプリカ』と言う曲がごり押しされていたが、今は鬼滅の刃のアニメ版主題歌『紅蓮華』が取って変わっていると言っていた事が。これを聞いてオレは「パプリカは此度の東京五輪のテーマソングだが、それが廃れたって事は五輪で消費を促そうってのはあきらめたのかも。その代わりに鬼滅の刃が推されているなら、なんか戦前の丹下左膳ブームと昭和15年のオリンピック中止によってやけになって祝われた、皇紀2600年記念式典を同時にやってるみたいだな」と思ったのよ……。ほら、丹下左膳が出てきたでしょ? 我ながら説明が長い気はするが、話の順序と言うものがあるんだよ。

 と、書いてから話が全然進まず放置していたが、それも限界なんで書き進める事にした。丹下左膳wikipediaで検索したところ最初の映画版は悲劇であったらしく、それでもヒットしたと言う点や最初に書かれた小説では「乾雲丸・坤竜丸」と言う大小一対の刀が出て来るところが、鬼滅の刃が本来暗い話であるにもかかわらずヒットした事と「日輪刀」と言う刀が出て来る事を連想させる……、と言う牽強付会もしたくもなるわさ。現代があまりにも、昭和初期をなぞりすぎてて。