走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

今日もうつ状態が……

 なんか急にうつ状態がキツくなって、どうにもこうにも。「就労支援施設も、生きる事すらも、どうでもいい~……」と言う気持ちになりつつある。これはおそらく、ガス抜きに雑談をしゃべったり出来る相手が、距離的な意味で身近にほとんどいないのが一因だろう。あと、孤独に耐えられなくなって来たのも。最近、ひとりで答えの出ない悩みを抱えるのが辛くてねー。悩みを聞いてくれる相手はいるんだから頼ればいいではないかと思うが、「向こうは忙しいんだ、迷惑はかけられん」と言う気持ちの方が強くて。だからうつ状態になるんだ、なんとかしなければ。

 今日もブログを書く気はなかった、しかし憂うつの持って行き場が欲しくて、つい。しかし、オレは絵を描いたりこうしてブログを書いたりして気をまぎらわせるけども、こう言うのがない者がSNSで人様にクソリプを飛ばしたりするんだろうな。よかった私そうならなくて! ……と、書いたはいいが、気持ちはまだ晴れやかではない。誰が石谷衣装店だって? すまん、このネタは潮時かと思ったが、沈む気持ちをなんとかしようとして、つい。

 うーん、うつ状態をなんとかしようとして、逆効果な事ばかりやってる気がして来た。書けば書くほど不安になるし、全然状況を好転させてない。文章ひとつで状況が好転するとは思ってなくて、うつ状態を抜け出すために何をやったか分からないと言うか。気晴らしに絵を描こうとすれば、白紙を見ているうちに不安になるし……。困った。ダメもとで人に相談してみるか、返事が返って来るとは限らんけど。

苦しい……

 今日は予約投稿以外記事を書かない予定だったが、あまりに苦しいので、書くしかなかった。

 なんかこう、下書き中の文章もまとまらなければ、絵も上手く描けない。そればかりか、希死念慮まで強くなって来た。苦しい。こんな思いをせんとならんのはなぜだ、辛くて辛くて……。今日は早めに寝よう、昼まで起きられないで寝込んでいたけど。ダメじゃん! こんな文章を書いて苦しみから逃れられるのか疑問だが、悩み事を相談出来る相手が少なく、連絡して必ず返事が来るかも分からないため、どこかで憂さ晴らしをせんと。絵描きも憂さ晴らしの一環だったんだが、それも辛いんだからどうにもならない。少し休んで、絵描きを再開してみるか。と言うか、描きかけの絵をなんとかしないと。それらが全然進まない! パソコンは安定しないし、オレ自身の精神も安定しないから、致し方ないっちゃあないんだが。

 とか書いていたら、少し楽になった。もう少し休んで絵描きを再開し、今日は早めに寝る。

愛、オレには愛なんかはない、けれど~

 愛より強いひょうきんも、へったくれもない! いえね、むかし引っかかった宗教と家族の間で板挟みになった時、宗教の信者に電話して押し問答になった時、「それじゃあ、あなたたち家族の愛は、どうなっているの!?」と言われた事を思い出したので。そのあと、言葉が出なかった。そして、電話代も切れた。当時のオレんちに、愛なんてものなかったのだ。さらに、それを誰にも*1分かってもらえないと言う、あきらめも出てなあ……。特に兄貴が、情愛を嘲笑し、否定するのだ。筒井康隆などのSFあたりからのウケウリみたいな、今考えたらすっげえ薄っぺらな論理で。話を戻して、信者の側からすれば、オレが家族に酷い目に遭わされようと信仰し、家族も巻き込むのが愛と言うのかも知れないが、宗教に走る前から家族間の愛情がない家庭にいては、家族への愛と言われてもねー。

 そして今も、オレの内面に愛なんてものがどれだけあるのか分からない。弱い故の生きる手段として優しさみたいなものは出しているが、いまだに愛に飢えているのは確かだ。オレによくしてくれたり、コメントしてくれたりしている人たちの気持ちが愛なのかも知れないが、オレの中に人に与えられるだけの愛はあるのか? そもそも愛って、なんだ? ちなみに、「ためらわない事」とか「決して後悔しない事」と言う答えは、間に合ってますので。それはそうと、前述のように家族間の愛情がない家庭で生きて来たので、人の愛し方が分からないところがあるのが。最初に述べた宗教の信者からも、愛情とは違うと思うけど「スキンシップが足りてなさそうな顔」と言われたりしたし。ほっとけ!

 なんでこんな話をつらつら書くのかと言うと、愛情への渇仰みたいなものをどう対処して生きればいいんだろうと思ったら、また芋づる式に思い出したんだよ。もし、最初に述べた信者との押し問答の時、「うちに愛なんて、ない!」と言い返せていたら、オレはもうちょっとマシな人生だったんかなあ? それが言えるくらいなら、最初から宗教に引っかかっていないだろうし、もっと苦しい人生だったかも知れない……。兄貴や親父の非情さ……と言うか、薄情さに同調していたかも知れんから……。と、書いていたら、以前このブログに『パタリロ!』で、ある祖母と孫との間にある確執を取り除くために一役買ったパタリロ8世が「憎しみは憎しみを生み、愛は愛を生む」と言ったのを真に受けて、「オレが家族によくすれば、きっと分かってくれる日が来る!」と思ってた事を書いたのも思い出した。のちに、打ち砕かれるがな。

 しかしなー、オレには愛があるのかないのか。いや、愛なんて、「口じゃ上手く言えないよ」って物なのかも知れない。そう思う理由は、また別の機会に……。

*1:当然、その信者にも。

どうしていいか、分からなくなりつつあり

 ちょっとオレは、これからどうすればいいか分からなくなりつつある。やる事なす事、手詰まりな感じがして。これが単に精神面の荒れから来るもので、実際はそんな事ないならいいのだが。

 いや、どこで絵を描いても描いても、「これでいいのか?」と言う疑問が浮かび、それを上手く相談出来る相手もいない。就労支援施設では、あまりあれこれ聞くのも気が引けるようになってなあ。さりとて、絵の相談相手が他にいるでもなし。どうしたものかしら。絵の件だけじゃない、生活面でもどうすればいいのか途方に暮れる事ばかりだ。プライベートすぎる話なんで、ここでおおっぴらに書くわけにはいかんがな。誰が見ているやらわかりゃしないし。ハコハコ。いや、ようつべで『さらざんまいの歌』を聴いたら、「ハコハコ」の箇所が妙に「口について」(元ネタはパペポTV笑福亭鶴瓶)しまって。「お前は真剣に悩んでいるのか」とツッコミが入りそうだが、手詰まり感を覚えていても、口についた歌は仕方ない。

 話を絵に戻して、なんか描けば描くほど袋小路に迷い込んだような気になって、筆が進まん。ゆうべから一睡もしていないので、なおのこと……。「寝れ!」と言われたらそれまでだが、なんかゆうべは不安が高ぶって寝られなかったのよ。今も寝不足の影響かタイプミスが増えてしまっているし、この記事はここまで。ネットの知人でも、アテにするしかねえ。

さみしくなくなりつつある

 このブログにいろいろコメントが来るようになって孤立感はやわらぎ、さみしくなくなりつつある。梶原一騎の、「自分の信念を世の中に逆らっても貫こうとする人間は、どうしても一匹オオカミになる」と言う言葉のとおりになる事を覚悟した時もあったが、まだそこまでオレは追い詰められてないようだ。

 そこから一気に、話が多様性について飛躍する。オレには最近の「多様性」と言うものが、自分たちの価値観への同調圧力合戦になっているように見えてなあ。だから「多様性」とカギカッコを付けたのだが。何度も言うが同調圧力合戦をやり出したら、それに一番長けた今の保守派に勝てるはずもない。価値観を推すと言うのはそう言うものだと言われそうだが、共生とやらを目指しているなら、同調圧力合戦に強い勢力との全面対決ではダメな気がしてなあ。ではどうするのかは、これから考えるのだが。と言うか、「多様性を言いながら、自分たちの価値観への同調圧力合戦になっては、まずいのではなかろうか?」ってところから、オレは一歩も前に進めていない! 「オレの価値観に渦干渉しないでくれ、あんたたちにも余計な事はしないから」を、上手く伝えるにはどうすればいいかや、それを踏まえていい意味でおせっかい焼きになるべき時はどうすればいいのかが、全然見えて来ない。マー、『男はつらいよ』の寅さんが煙たがられる*1ような当世では、後者のハードルは高すぎるかも知れないけど。

 ツイッターで繰り広げられてる「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」だって、結局は長いことパターナリズムお化けでいる保守派に軍配が上がりそうで。そうなったら、きゃつらのおこぼれで生きていくのも難しい。経団連は終身雇用をあきらめ、麻生太郎は「年金に頼らず自分でなんとかしろ」と言い出す世の中だからな。誰がはじめたか知らないが、いつわりの「多様性」による同調圧力合戦の果ては、悪しき新自由主義による蹂躙かよ。オレはどうすりゃいいんかなあ……。マー、これだけ書いておけば、誰かヒントをくれるかも知れん。さみしくなくなった今なら。最悪、前述の「自分の信念を世の中に逆らっても貫こうとする人間は、どうしても一匹オオカミになる」を覚悟して生きるしかないのかも知れない……てな事言うから、人が話をしたがらなくなるのだ。コメントくれてる皆さん、ごめん。ううう~! コメントくれてる皆さんがどうとか言うんじゃなくて、今はさほど世の中に逆らってるつもりはないけど、世間がどうなるかって話で。

*1:劇中でも、あまり歓迎されてなかった気がして来たが。

ハッキョキョ、ハッキョキョ、ハッキョキョ、ハッキョキョ……

 題名は気にしないでくれ。いえね、なんかいろいろごちゃごちゃ言っても、どうにもなりそうにないから無意味な事を書きたくなって。と、言いつつこんなツイートを貼る。

 うーん、「いやなら出ていけ」論法は確かに問題だが、「いくら批判しても改善しそうにないから、テレビを見ない権利を行使する」のはありかと。それで誰も彼もそっぽ向いたから、今のテレビの惨状があるのかも知れないけど。「言われているうちが華やで」ってやつ? それはそうと、「いやなら出ていけ」論法は、暴君オヤジやネットでは関係ないはずの第三者が使いたがるな。なんでやろ? 暴君オヤジも、その座から引きずり落とされた時に、同じ事が言えるのかねえ? ……書けば書くほどむなしなって来たわ、いくら今のオレが何を言っても、客観的な状況がよくなりやしない。いや、オレの現状への危機感を共有してくれる人が出て来たから、そうでもないか。

 ところで、このブログの記事、現時点で6000を越えている。はてなの運営から削除の依頼がない限り、この数は大きく変わる事はないだろう。それだけいろいろ*1書いても、危機感の共有をしてくれる人がなかなか来ないと見るべきか、まだこれからどんどんそう言う人が増えるかも知れないと見るべきか。さて。

*1:紆余曲折を経て、内容や主張に変更はあるにしても。

またしばらく、不定期更新に

 こんな事書いていいのかどうか分からないけど、急に希死念慮がぶり返して来た。しかも漠然と死にたいのではなく、具体的な死に方を検討するようになって……。

 とりあえずこの状態でマトモな書き物は出来そうにないので、明日の予約投稿のあと、しばらく休む事にした。正直、今は書く事ほとんどないし、いろいろやらにゃならない事があるし。精神的に落ち着くまで、休む。コメントへのレスも、かなり遅れるとお思いください。

 しかしなー、なんで急に今日になって、辛かった時くらいの希死念慮が襲って来るんだ。見えないところで、環境の急な変化のストレスや、見ないようにしていた将来への不安が一気に噴き出したのかも知れない。なんにせよ、今日は早く寝るに限る。おやすみなさい。

模造された悪



https://twitter.com/gestaltgeseltz/status/1134826411405893632


 この一連のツイート、統計の見方がちょっと気になるが、メディアが模造された絶対悪*1みたいなものを作ろうとしているのではと言う懸念には首肯する。30年前、宮崎勤逮捕からのオタクバッシングや、それに便乗した連中の事を思えば、ない話ではなさそうだし。

 悪なんて模造せんでもそこかしこに転がっている気はするが、そこかしこに転がっている悪……つまり人間の内側の悪を見たくなくて、何かに押し付けなければ生きていけないのが「普通の人」ならば、「普通の人」の方がより罪深く恐ろしい存在なのでは? オレだって、自分の内なる悪を直視出来てないかも知れん。だが、「普通の人」が自らの「普通の暮らし」を守るために、いくらでも残酷になる怖さは痛感しているつもりだ。みんな、本当にこれでいいんか? それは今はおいといて、「模造された絶対悪」ですよ。30年前、オタクを「模造された絶対悪」の座に据えようとしたマスコミには、言いたい事がいろいろある。コミケに対し「ここに十万人の宮崎勤がいます!」と言ったってのは都市伝説っぽいが、東海林のり子日野日出志に向かって、「取材に応じなければ、こちらで好き勝手言いますよ!」と恫喝そのものな事を言ったとか、これはオレが当時テレビで見た*2のだが、実際に若いアニメファンなどを集めてミーティングみたいな事をしていた時、おおむね事件に対し憤りを見せていたのに、最後の方で「でも、小さい子が可愛いと言うのはありますよ」みたいな事を言った途端、その後も何か言っていたような感じだったのにスタジオに戻して、その発言をコメンテーターが「気持ち悪い」のなんのと……。これでこの件に対するマスコミの反応は信じられないと強く思った。全くもって、「模造された絶対悪」を作り出そうとする時のメディアの力はどれだけ恐ろしいか。いや、もっと恐ろしいのは、そう言う事件報道を見て安心して生きる「普通の人」の方か。しつこいけど。

 「オタクバッシングに便乗した連中」とは、宮崎勤事件のあと、オタクをバカにして原稿料を稼いだ物書きやマンガ家だ! 石堂淑朗とか、ビッグ錠とか、田中しょうとか、山科けいすけとか、のむらしんぼとか……。オレが覚えているだけでこれくらいだ、当時のマンガ誌やら「オピニオン誌」やらを漁ればもっと出るだろ。しかしながら、そんな奴らを食わせたのは、「模造された絶対悪」を求めて安心している「普通の人」ではある。そっちの方がよっぽど気持ち悪いよ。重ねがさねしつこいけど、こう言う事はしつこいくらいに言わねば誰にも届かないのでね。マー、オレの方が「普通の人」を「模造された絶対悪」にしようとしていないかと言われたらあれだが、川崎の通り魔やら、元農水事務次官による子殺しとかに言われたいろいろな聞くにたえない言葉が、絵に描いたような悪人から発せられたわけじゃないと言うのを考えると、「普通の人」の残酷さは一番手に負えないのではないだろうかと……。

*1:アンリマユとは、ゾロアスター教における絶対悪の神。

*2:番組名も放送局も、覚えていないが。

知識は大切じゃの

 下記の過去記事で引用した、「信念は世界を変えるためじゃなく、世界に変えられないためにある」と言うのは、元ネタがあったようだ。

a-katu.hatenablog.com

 ガンジーが似たような事を言っていたと言うツイートを探したが、いいねしていなかったようで。このブログの構造上、いいねしていないと引用が難しいんじゃい。

 妙に含蓄があると思ったのは、ガンジーの言葉だったからか……あーそこそこ、テレビアニメ版『デビルマン』の不動明気取って、「ガンジーもクレイジーも、あるか!」とか言わないように。気を取り直して、イギリスに対し、「非暴力・不服従」で戦い、インド独立に大きく貢献した人物の言葉なら、さもありなん。オレも、事あるごとに引用しているからなあ。しかし知識は大切じゃの、こう言う言葉をさらっと出せるようになるんだから。マー、『いだてん』の美川が威勢よく『坊ちゃん』の台詞を引用したが、その場にいた誰も『坊ちゃん』を読んだ事がなかったため意味がなかったと言うようなケースも多いけど。オレもよく、やらかした……。オレの過去はいいんだ、問題は知識をいかに活かすかと言うことで……。オレの知識もなかなか活きる事がなかったが、これからは違うかも知れない。いろいろ好感触があってね。

わしは、弱者のためにも絶対強者になりたい!

 題名は、かつて小林よしのり少年キング休刊のエピソード*1を語ったあとにかましたゴーマンである。オレが今一番望んでいる事を言語化したら、たぶんこうなるだろうと思って引用した。だってさあ、「強きを助け、弱きを憎む」連中が多いこの日本をよくするには、それなり以上の力がいりまっせ。レッドマンくらい恐ろしい存在になるとか、天変地異を引き起こせるとか、反陽子爆弾を内蔵した巨大ロボットを操縦出来るとか。これらは大げさにしても、「強きを助け、弱きを憎む」連中に対抗するには、人々の善意に期待したりちまちま選挙に投票したりではもう間に合わない*2のではなかろうか。反論はあるかも知れんが、自分がそれなり以上の力を持ってないため、世の中に蹂躙されているような気がしてなあ……。

 と言うか、今の日本は、異議申し立てがしにくい社会構造になってるんじゃ! 全く出来ないよりはマシだが、弱い者を自らの手を汚さずにいじめたい連中*3がすぐに足を引っ張るようでは……。題名の言葉を言った小林よしのりにしてからが、愛国バカになっちまったし。その他さまざまな理由で、状況がいいとはオレには言えないんだよ。そこに棹差すだけの力があれば、すぐにでも行動するんだが、現実のオレは持病が酷かったり金がなかったりして、どうにもならない。繰り返すが、このまま蹂躙されて黙っているしかないのか! だとしたら、つまらん人生じゃのう。

 ……この記事だって、愚痴でしかない。しかし、今の自分が何を望んでいるかくらい言ったっていいじゃねえか。

*1:のちに少年画報社の編集者から、反論があったが。

*2:それでも投票には行きますけどね、「世の中に自分が変えられない」ようにするために。

*3:ぶっちゃけ、ネットの有象無象の事だ。