走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

いきなり源平討魔伝ネタ

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 この一文がなんであるか、分かる人は分かるだろう。と言うのも不親切なので解説すると、1986年にナムコが開発したアーケードゲーム源平討魔伝』のエンディングに出る言葉だ。改行などは、正確ではないけど。この文は、スタッフによる深谷正一への追悼文でもあるのだが、「神も悪魔も降り立たぬ荒野に我々はいる」と言う箇所が好きだ。オレかオリキャラの決め台詞にしたいね。

 それにしても、だ。全国的にゲーセンがなくなって行く……。オレが愛したあの場所が、もうない。オレ自身、ゲームに情熱を注げなくなって久しい。ゲーセンはなくなる、ゲームメーカーはスマホゲーのガチャと言う悪い文明で荒稼ぎする……。こんな状況ではニンテンドースイッチを買って、レトロゲームに耽りたいところだが、あいにくそんな金はないのじゃ。トホホ。

 それはそうと、使っていたカバンが痛んできたので、こんな事もあろうかと買っておいた新しいのに替えた。だからなんだと言われそうだが、書くことがないんだ。ここでゲームに関して愚痴を垂れても、状況はよくならんし。

上手くなったんだか下手になったんだか

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 このふたつの絵の上の方は、18年前に出したコピー誌の表紙で、下はそれを見てこないだ描いてみたものである。閲覧者の皆さんには、どちらが上手く見えるだろうか? オレには上の方が荒削りだが情熱やら楽しさやらが感じられるが、今はこの頃よりいろいろ衰えたような気がして。

 描き続けたり、最近就労支援施設で絵の講習を受けたりして、技術は上がったように見えるのだが、本当にそうなのかオレ自身は疑問である。描いても描いてもダメ出しされるんじゃないか、本当は下手になってるんじゃないかと不安になるんだよ。客観的な判断と言うものが、イマイチ分からないせいでもあるけど。客観的な判断とあら探しや罵倒の区別がついてない奴らの陰口に、長年晒されていては。最近は2ちゃんねるだか5ちゃんねるだかを見る気はないし、ブログなどで絵の事で絡んで来る輩もいなくなったけど、過去に受けた罵倒はまだこたえていてなあ。そっちを気にせず、支持してくれる人たちの方を見ていればいいのかも知れないが、なんかのきっかけで逃げられそうな気がして……。なんて弱気なんだオレは、もうちょっと図太くなれんもんかねー。

 あるいは、まだ親父が生前「見切りをつけろ、見切りをつけろ」と言っていたのを気にしてるのか!? ……気にしてるんだが。と言うのも、そう言われる以前から絵を描くペースが落ちていたり、うつ病かと思われる症状が出てたかも知れなくて。そこへ来て親父に否定され、「これじゃもう、描けないかも知れない」と言う諦念が残った……。親父は死んだんだから関係ないと言い切れればいいのだが、夢枕に親父が何度も出て来て、その度にびびっているし。親父の件やネットで受けた罵倒と言った過去を振り切って楽しく生きたいところだが、まだそれが出来てない。なんぎな話だ。

 絵の話が出来る相手がようやく増えそうな気配はあるので、こう言う話をブログで書くんじゃなく、その相手に話した方がいいかも知れない。向こうはどう思ってるか知らんけど。

ははん、ははん、はちじはん

 ……言うな、勢い余って出た戯れ言にすぎん。

 それにしても、オレは最近線画ばかり描いて、彩色までやってなかった。パソコンが不安定すぎるのも一因であるが、描く事に尻込みしていたら線画が溜まりまくってなあ。描きかけの絵ばかり増えてもなんだ、所ジョージが言う「完成度は低くてもいいから、完成させてみな」を胸に、あらためて彩色をやってみるか。パソコンの不安定さはどうにもならんけど。

 それと、イラスト講習で学んだ事がイマイチ活きていないのも。講習で絵を描いてばかりいるわけじゃなかったとは言え、残念じゃのう。今までとは描き方を変えたところはあるんだが、ヤハリ。

 とか書いていたら、腹が減って来た。これ書いてるのは銀行で金がおろせる時間じゃないから、水でも飲んで我慢するしかない!

歴史は繰り返すのか……

 ようつべの円谷公式で『ザ★ウルトラマン』をやってるから見ているんだけど、今のところちゃんと初代ウルトラマンのフォーマットにのっとった作劇をしているのだ。その上でアニメならではの要素を模索していて、当時の第一次ウルトラシリーズ原理主義者にボロクソに言われていたのが信じられない。のはいいんだが、見ていて「ニュージェネレーション」と呼ばれるウルトラマン作品群と比較してしまって、ニュージェネレーションに渋い評価をしている自分に気づいた。これじゃむかしの、第一次ウルトラシリーズ原理主義者と変わらんではないか! と言うわけで、題名につながるわけです。

 長年続くシリーズものは、時代によって否応なく変化するものだと思うのに、ニュージェネレーションを受け入れがたくなってる自分の「頭の固さ」にがっかりしている。と、同時にアニメと違って特撮は予算がより厳しいとは言え、防衛隊を廃した作劇こそ限界があるのではないかとか注文を付けたくなる自分もいる。人間は勝手です。それにオレがいくら頑張っても、今からウルトラシリーズのスタッフになれるわけじゃなし。マー、制作に携われない作品について物を言っちゃいかんと言う法律はないが、プロと歴然とした差があるのは確かで……。

おおっ、おーっ!

 それにしても、なんでこの年で性欲が残っているんだ! そのため最近、悶々として辛いわい!

 いや、性的に妄想するのはいいんだ、それを絵やマンガに出来ればよおーっ! どうせ性的に妄想したり興奮したりしても、オナニーするしかないんだし。それなら絵やマンガにした方が、まだどんなにか。とは言うものの、最近絵を描くより先にオナニーしてしまうのが。悶々とした気持ちを絵にするのは、結構ホネなのよ。

 いや、性的な興奮と性表現を描くのとは、人間の内面の別々の部分の働きかも知れない。後者は、より理性に近いものな気がして。マー、自分が興奮出来ないなら、他人も興奮出来ないような気はするけど。と、書いていたら、実はこの辺分析するのに向いてないものではと言う気もしてきた。だから性表現はいろいろ物議をかもすんだろうが。そんな分析より、オレの性欲ですよ。年齢的に体力とか落ちるはずなのに、なぜと言う疑問が。あるいは肉体がもうもたないから、子孫に託そうとしているのか。そんな事言われてもねえ、子孫を残しようがないのよ。遺伝子を受け継ぐ子孫は無理にしても、ミームなと残せんかと絵やマンガを描こうとしたが、そっちの方もさっぱり。ああ~、つまらん人生じゃのう。

誰が漫才「ピッチ・チャップ」のおふたりだって?

 『サザエさん』の原作に、名前だけ出てきた漫才師を持ち出すなよ、オレ。だから「マニアック」と、友人から言われるんだろうが。それはそうと、オレは一面的に物を見すぎていたのかも知れない。にしざきさんや負次郎さんに言われる前から、そう思うようにはなっていたが……。たとえば最初に述べた「ピッチ・チャップ」だって、知らん人がどう思うかを考えたらわりとリスキーなネタだったし。

 こう思うようになって来たのは、いろいろあって自分を客観的に見るようになったからなんだが。マニアックなネタを加工もせず出しても受けないと思い知ったり、ツイッター「だけ」で見えている世の中は、あくまでも一部も一部だと気づいたり。それはいいんだが、ではオレはどうすればいいのか? しばらくは復調と絵の勉強につとめるしかねえ、復調しないとどうにもこうにも。

 しかしなー、オレはナチュラル・ボーン・オタクだから、つい深く調べるんだよね。あと、メジャーなものだとオレが言及する余地がなさそうで。それでも、漫才師「ピッチ・チャップ」をメジャーと言える『サザエさん』から引き出すけど。メジャーなものの中のニッチに食い込んで行く、と言うか。あまりやりすぎると、唐沢俊一の二の舞になりそうだけどにゃー。

なんなんだこれは?

 前にこんなツイートをしたんだけど、なんで兄貴はこう、オレに余計な事をしていたんだ? ちなみにマカロニほうれん荘のプラモは、タカラと三共*1から出ていた。

 しかしこのプラモ、たぶんマカロニほうれん荘と『嗚呼‼花の応援団』*2と、タイムボカンシリーズを併せたんだろうな発想としては。流行りものを貪欲に取り入れるパチもん業界のたくましさに、わたしゃ泣けます。あ、ロボダッチも入ってそう。一個80円で4個パックだと300円になるミニプラモは、ロボダッチとか忍者キャプターとかいろいろ出ていたしな。そんなパチもんプラモネタをもうひとつ。

 これも4個パック300円のパチもんプラモ、ツイッターには貼れなかった画像を下記に。

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 ね、言ったとおりでしょ? しかしなー、むかしはこんなあやしい世界が展開していたのね。最近は著作権の遵守がうるさいから、こう言う事をする機会もなし。それならオリジナリティ溢れるものが沢山あるのかと言うと、ラノベなどに「異世界転生」ものが馬に食わせるほどあるから、たいして変わらないような気も……。オレはオリジナリティと言うものに幻想を抱いちゃいないから、そう言う状況を嘆いたり怒ったりはしていないけど。むしろ受け手のオリジナリティへの幻想が、創作する者を追い詰めてる現状の方が嘆かわしいんだ。それを詳述はしないがな。

*1:製薬会社ではない、念のため。

*2:こちらは、バンダイからプラモ化された。

思わぬところで思わぬ事になっているな、世の中

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 こないだ用があって市役所に行ったら、こんな催し物をやっていた。ポスターのカルト臭さに違和感を覚えて主催を見たら、「世界平和統一家庭連合」って……。統一協会じゃん! トホホ。呉市もこんな連中に、ホール貸すなよなあ……。2000年代に、ネットで保守的なとある坊さんが「その犯罪性と凶悪さから、オウム真理教統一協会は他の新興宗教とは別に取り扱う」と言ってたっつーのに。思わぬところで思わぬ事になっているな、世の中。

 と、書いたあと、ぐずぐずと世の中を呪う文章を書いていたが、流石に先日負次郎さんとにしざきさんに忠告を受けたあとでは恥ずかしくなり、消した。統一協会がロクでもない団体だと言うのは事実だが、今のオレにはどうする事も出来ん*1し。メタリカのラーズ・ウルリッヒじゃないが、「なんでも出来る必要はない」と思うしかねえ。病状を考えると、なあ。

 と、書いてから買い物の帰りに駅のバス停で落とし物を見つけ交番に届けたら、そこに日本会議の息のかかった団体が発行している『ニューモラル』と言う冊子が! 交番の中なので、写真は撮れんかったが……。だが日本会議も、今のオレにはどうする事も出来ん。と言うか、こんなネタが分かる人はオレの友人知人ではカマヤン(id:kamayan)さんくらいか。閲覧者が少ないから、話も広がらんしねえ。

*1:有田芳生浅見定雄ですら、決定的ダメージを与えられなかったんだから。

あまり言及したくなかったが……

ドラマを作るな!反社会学講座ブログ

 このブログ記事に書かれている、パオロ・マッツァリーノさんの主張に賛同する。そう、もっとみんな勇気を持つべきなのだ。事件報道や事件への下馬評から生まれるドラマを拒絶し、淡々と生きる勇気を。

 オレが事件報道に対して感じている違和感を、パオロさんはかなりつまびらかに分析している。なので、賛同するしかオレの意見を伝えられない。本来は川崎の事件についてあまり言及したくはなかったが、これほどまとまっている文章を紹介しない手はない。

 しかしなー、「事件そのものより事件報道がウザい」とか、パオロさん言うところの「ドラマを作る」方法しか出来ないなら事件報道なんかやめてしまえとか言い続けているのに、イマイチ賛同者が増えない。オレの言う事って、そんなに説得力ないか? トホホ。

 ここから、ネットで犯人像を歪めて喧伝しているある種のサイトやツイッタラーなどに対する罵倒でも書こうかとおもったが、やめた。書こうとしても不愉快さが先に立ち、マトモな文章にならないから。ならば耐えるしかない、悔しいけどな。

お、重い

 上記ツイートが気になったので、論評を加えようとしたが、なんかすっげえ重い話なんじゃないかと言う気になって、キーを打つ手が鈍くなった。だってさあ、自分の周辺の者か有名人にしか興味ないなら、「無名の人」にいくらでも非情になりかねないからな。それを指摘しても、客観的な状況がよくなりそうにないし。なぜかはいちいち言わない、オレが言わなくても昨今の日本の状況を見れば……。

 それにしても、世の中どんどんおかしな方向に行ってるね。