走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

模造された違和感

 これは欅坂46平手友梨奈脱退の時書こうとして放置していた話だが、秋元康が信用出来ないためか『不協和音』も『黒い羊』も、歌われている「集団の中の違和感」が、模造されたものに聞こえてなあ。秋元は本当のぼっちの苦しさを知らんか、それすらも自分の金儲けのための消費財にしようとしているのか……。どっちにしろ聴いてて辛い曲だ。そりゃあね、オレがこんな性格だから、孤立のフエガムな事が多いんですよ! それでも「僕はいやだ!」と、叫びたい事はあるんでして。確かに世の中の文化資本を維持するにも、金が要るのは承知だけど……。

 話を「模造された違和感」に絞ると、秋元康は集団の中で孤立してる者への本気の共感から、あの歌詞を書いたように思えなくて。これは、美空ひばりのために書いた『川の流れのように』に感じた「受けをねらった雰囲気」にも通じる。ところで、なんでオレが『不協和音』や『黒い羊』を知ってるのかと言うと、ラジオで聴いたからだ! 聴いた上で、言っているのであって。と言うか、なんでオレはこう、醒めているんだろう? マー、好きなものを共有出来る相手になかなか出会えなかったため、何かを好きになる事への恐れがあるんだろうけど。あと、嫌儲っての? があるのと。この辺も共感しにくい感情や意見なんだろうが、書いておきたくて。

 「好きなものを共有出来る相手になかなか出会えなかった」のは、中学時代のいやな経験と、その後宗教に引っかかった影響などで趣味に対するアンビバレントが出来たり、その後もいろいろあって。宗教に走る前に、いろいろ辛い事があったのは事実だし、自分の幸せを追う事にもうちょっと貪欲なら、家族の罵声も宗教の勧誘も気にならんかったと、最近思うのだが……。この辺のオレが感じていた生きづらさは、歌にも金にもならねえ……。