上記記事が、はてブでけっこうブクマされたみたい。中国の表現規制を題名に使ったからか? だとしたら複雑な気持ちである、反中の者を呼び寄せたみたいで。実際ブコメに、そんな感じのがあったし。確かに引用した話は酷いんだが、オレは日本の為政者(特に政権党たる自民党)の人権意識も中共と変わらんのではと言う懸念があったので言及したのに、そっちにはほとんど触れられてない。人は、見たいものしか見ないのね。オレだって似たようなものかも知れないけど。
ついでに、上記記事に関連して「表現で人が傷つく事問題」について個人的な意見を。まずオレは「誰も傷つかない表現」は存在しないと考える。むかし、筒井康隆の『読者罵倒』で、そう言う表現を望む者への痛撃を味わったのと、「全ての人にとってのストレスフリーな環境」が実現出来ないのとで。また、仏教に「怨憎会苦(おんぞうえく)」と言う言葉がある。生きていれば、いやな思いや嫌いなものに出会うのは避けられないと言う事だ。それは表現に接する時もそうなんじゃないかなあ? だからと言って、「表現で傷つく方が悪い」と、居直り強盗みたいな事は言わないよ。いらんケンカになるから。そう、受け手も送り手も「いらんケンカをしない」配慮は出来るのだ。たとえば、「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」をしないようにするとか。表現者だって、気をつけなければならないところはあろう。しかしなー、ここまで書いてこんな事を言うのは心苦しいが、「知らんがな!」と言いたくなる時もあるよ。このツイートの話とか。
前に話しましたっけ?「本腰を入れる」という表現を使ったら。「性的描写に捉える視聴者がいるかもしれないので、他の表現にしてください」ってテレビで言われたの。あまりのことに一瞬何が駄目なのか全く理解できず、説明を聞いて大爆笑したことがあります。ヤバイぞ自主規制w
— 藤沢文翁 (@FujisawaBunoh) 2019年3月4日
同じ目に遭ったら、「そこまで無知な奴の事なぞ、知らんがな!」と、オレだったら言いそう。表現者は配慮も大切だが、「一面的に言いきる」覚悟もしなきゃならないもんだとも思うので、こんな感想が出るのかも知れないけど。いや、今は山本太郎に抗議しようとして、切込隊長こと山本一郎に抗議してきたのがいた。その中には、ご丁寧に山本一郎が人違いだと説明したにも関わらず、「似たようなもんでしょ? 謝罪してください」と言った奴がいると言う話が。言った相手も人違いを指摘され、引っ込みがつかなくなって逆ギレした可能性はあるけど、世の中に物申したり表現物を出したりする時には、こう言うのも相手にしなきゃならないのか。かなわんなあ……。だから題名や最初に述べたように、「人は、見たいものしか見ない」と……。あー、だからか。自分が見たくないものが視界に入った時、取り乱すのが増えたのは。