「たとい現実的に苦難を解決しないとしても、一時的な気休めとなる効実があるから、迷信もまんざら棄てたものではない」というのが迷信庇護温存論者の常に用いる口実である。◆『俗信と迷信』 #ZYU1
— ZYU1 (@ZYU1bot) 2019年1月31日
「真偽不明の情報だけど啓発している内容は良いんだから、問題ない」というのは正にアレですよ、「江戸しぐさ」を信じるのと同じメンタリティですよ。
— 渋江照彦 (@shibue827) 2019年3月5日
ツイッターで見かけたあれやこれやに当てはまりそうなんで、とりあえず貼っとく。「あれやこれやって、なによ」だって? 「スーパーでひとりでトイレに行った女の子が、性的暴行を受けて子宮全摘出」とか言ったツイートの真偽をめぐる話だとか、「体感治安」の悪化に反して本当の治安は良くなっているのに、「防犯を啓発出来るなら、『体感治安』の悪化が嘘でも言うべきだ」とか言った学生の話だとかだよ。これらの話を考える時のヒントになりそうなツイートを、上にとりあえず貼った。あとは推して知るべし。
もっともらしいけどもっともじゃない話なんて、むかしからいくらでもあったんだろうけど、最近は増えたような。いや、ネットで検証されやすくなって、可視化もされやすくなっただけか。ただねえ……、もっともらしい俗説ってのは、古びても否定されても何度も何度も蘇ってくるからなあ。「ゲーム脳」とか。そういやヒトラーは、最晩年に身の回りの世話をしていた女性に「ナチズムは百年後、宗教のように蘇る」と言っていたとか。……百年を待たずして蘇ったけどな。人の口から出た話なんて、消し去りようがないのかも知れない。