走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

もはや、男女の機微は分からんと覚悟すべきか

 オレはつくづく恋愛と縁のない人生を歩んで来た。モテないモテないと喧伝している『ラジプリズム』のパーソナリティ「カンダ部長」よりモテないであろう。彼はまだ失恋経験がオレよりあるからな、それだけ女性との接点もあったって事だろ。オレはこの先男女の機微も何も分からず、ひとりで生き、ひとりで死んでいくんだろうねー。はー、けっこうちゃーん! けっこうちゃーん! けっこうちゃーん!

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 上図がけっこうちゃんだ。別にオレがひとりで生き、ひとりで死んでいくのがけっこうな事だとは言ってない。あまりのさみしさにしょうもない一発ギャグに走ってしまったが、話を戻そう。そういやサブカルビジネスセンター(以下SBC)で女性利用者と話す機会は増えたが、内容はオタク話やパソコンの話や絵の話程度だ。でも、SBCではそれでいいんだ。向こうもオレに気があるわけじゃなし。合う話題を少しでも出来るだけでも、オレは嬉しい。前述のように男女の機微なぞ分からんけど、人生で一番「マトモに」女性と会話する機会があるのではと……。少なくとも、思春期よりはずっと。

 と、書いていて芦田豊雄が生前、月刊OUTで「卑屈になってまで友達になってもらう必要はありません、そのうち友達が出来ます」と言っていたのを思い出した。それを読んだ時は同性の友達しか考えてなかったが、女友達にも言えた事だったのかも知れない。のちに月刊OUTには「バレンタインチョコをもらえないと嘆いている男どもよ、もらえるだけの事してるの!?」と言う女性投稿者からのハガキが掲載された事を、付け加えておこう。

 それで男女の機微だが、もとより男女で考えるのではなく、人としてどう接するかだったのかもな。してみるとオレの対人恐怖みたいなものが、いろいろ邪魔をしていたのだろう。そうなるのには、それなりの理由はあったんだが、割愛する。オレもそれなりに、女性関係でトラブったしなあ。

おおおお~! おおおおお~!

 性的に悶々としているが、ひとりで出す気力もない。エロい絵を描いていて、うっかり盛り上がったが……。最近は出さなくても、エロい絵を見ているだけで満足する事が増えた。いいのか悪いのか……。と言うか、エロい絵を描きたくなったので、ちょっと描いてた。しかし、エロいかどうか自信ない。完成しても、ここでは見せられんけどな。

 と、書いたが、股間に血が行って来た。やっぱりひとりで出して来る。

書けば書くほど辛くなる~!

 いろいろブログ記事を書いているが、書けば書くほど辛くなるのは、なぜだ? 同じ事ばかり書いていれば、そりゃあねえ……。最近それが顕著になってて、書いた記事書いた記事、削除しまくりですよ。サブカルビジネスセンターに通ってて、これや……。それさえなかったら、どうなっていたか。ノスタルジーにひたろうと過去の話を書けば、結局宗教に引っかかった事か勤め先で殺されかかった事になるし。もっといい話を書こうとしても、上手くまとまらん。無理して書いた記事も支離滅裂で、結局削除したし。仕切り直して、以下にもう一回。

 1989年末から広島市のゲーセンに通うようになったが、当時は宮崎勤逮捕からのマス・ヒステリーやモラルパニック激しい時。あの頃ゲーセンのコミュニケーションノートでオタク話していた人たちは、いったいどう言う気持ちだったろう? 当時のゲーセンは、マス・ヒステリーやモラルパニックから逃げおおせるための梁山泊だったのかも知れない……。そしてオレも、梁山泊に逃げ込んだひとりだったような。今にして思えば。あの頃宗教に引っかからず、すんなり絵を描く道を目指し、ゲーセンと言う梁山泊に入っていればなあ。言っても仕方ない事だけどね。

今日もツイッターにおられん!

 今のタイムラインの状況を見ていたら、今日もツイッターにおられんな。連絡があったら見るしかなかろうが、タイムラインには首を突っ込みたくない! 理由は言わんぞ、言えば不愉快になるだけだ。ならばこんな話すらせねばいいだろうとツッコミが入りそうだが、どこかで今日はもうツイッターに関わらないと宣言せんと、うっかり首を突っ込んでしまいそうなんだよ。ツイッターに耽る余力がない以上、泣く泣く避けるしか。ツイッターでの罵倒合戦に関与出来るほど「しつこい暇人」でもないのよ。

 あー、オレ自身に余力のない時に限って……言うまい。言えば辛くなるだけだ! 今日は休もう、そうしなければ潰れてしまう。

同好の士にめぐりあえるネット

 今日、pixivを見たらオレのオリキャラの絵に「好みのタイプです」と言うコメントが。嬉しいねえ、そう言ってもらえると。こう言う言葉のために、絵を描いているんだよなオレは。そしてその機会を増やすため、今いろいろな事をしている。サブカルビジネスセンターで学んだりな。

 前から言うように人間関係構築能力に難のあるオレは、ネットで同好の士にめぐりあえると喜びもひとしおだ。ネットは本来そう言う場であったはずなのに、なんでオレはそのように活かせなかったのか? 絵を描くのが辛かったり、いろいろあってね。いろいろについては今は言うまい、そんな気になれん。ひとつ言うなら、持病による精神の不安定さか。長い事それに苦しんでいるしなあ。これは人間関係構築能力の問題にも関わってくるが、話が広がりそうなんで割愛。

 また、同好の士にばかり会って、タコツボだのエコーチェンバーだのに陥ってもと思っていた。いたけど、反対意見を自分の中で御す事が出来ないなら、逃げる方がいい時だってあるんだと、いろいろあって思い知った。「また、いろいろかね?」と言われそうだが、かいつまんだ説明が難しくて。反対意見の持ち主と、それほどやりあったわけでもない*1が……。

*1:前述の持病の関係で、深く議論出来る状態じゃない時が続いたのだ。

こんなことばっかりして、ほんとうにこんなことばっかりして

 『妖怪七変化』を読んだ時これに気づいたわけじゃなく、最近になって「そう言えば」と思ったら、つい。題名にあるように「こんなことばっかりして」と、自分にツッコミ入れたいわい。別にオタクである事がどうとか言うんじゃなくて、扱うネタが古いんじゃないかとね。前にも書いたけど流行りに乗っかるのが下手で、いきおい懐古厨となったとは言え……。あと、オタクの内輪でも誰も聞いちゃいない話ばかりしているんじゃないかと、不安で不安で。こないだもサブカルビジネスセンターで藤子・F・不二雄の短編『神さまごっこ』に言及したら、講師は知らなかったし。繰り返すが、こんなことばっかりして。

 なんでオレは人に話を聞いてもらえんのかと悩んでいたが、「知らない話」ばかりしていたからかと、ここまで書いて思う。だいたい、むかしからそうだったんだよ。どこか世間やオタクの内輪とズレた興味を持っていたから、会話が噛み合わないこと噛み合わないこと……。みうらじゅんみたいに、独自の感性や興味を面白く打ち出す事が出来れば商売にもなったものの、オレにはそこまでのスキルはなかった! トホホ。いや待て、下の記事に書いた事を思い出せ! 独自の興味を持っている者をいじめる世の中が、正しいとでも言うのか?

a-katu.hatenablog.com

 オレが「知らない話」をどう打ち出すかについて考え出したのは、サブカルビジネスセンターでのマンガ描きが影響しているような気がする。たとえば『精神障がいエッセイマンガ』として自分の病歴や統合失調症について描いているが、大多数の読者にとっては「知らない話」だもんな。オレ自身の事だけでなく、統合失調症ってものすら。これをどう興味を持ってもらおうかと思案投げ首していたら「じゃあオレは今まで、そんな努力していたのかよ!」と、自分に疑問も。それまでの人生における「分かる奴だけ付いて来い!」的な態度からは大きく転換しているが、表現者としては成長したのであろうと……。

笑って笑ってネアカになあれ

 題名は、タイムボカンシリーズイタダキマン』の1エピソードのサブタイトルである。この回に出て来る妖怪*1が支配する土地では、住民は「死んだ」とか暗いとされる言葉を使う事を禁じられ、無理やり笑顔でいる事を要求されていた。これって、最近のSNSやネットにも言える寓意ではなかろうか? いえね、エロはあかん*2だの「死にたい」はあかんだの……。だから何度も繰り返すように、SNS*3が「明るく楽しい、マヌケなディストピア」を目指しているのではと……。辛い時には辛いと言えなきゃ、現実的な解決策には至れないんだよ! 「空元気でも元気」じゃダメなんだよ! おい、惟任さん、聞いてんのかよ、聞いてんのかよ……。あら? 2006年に死んでやがら。……って、『必殺仕業人』のオープニングナレーションを一部パロったが、「惟任さん」を知らん人には意味ねえな。2006年に亡くなった、オレの友人なんだが。

 さておき、SNSなどでの「言葉狩り」は、前述のように辛い事があった時の現実的な解決策から遠ざける一方な気が。これまた前述の惟任さんの話になるけど、オレが石堂淑朗の「気違いは抹殺されなければならない」と言う言葉について話そう*4としたら「お前なあ、表現の自由を守ろうとしている人間が、抹殺なんて言葉使うなよな!」と、怒り出してなあ。オレじゃなく、そう言ってる人がいるって話だと言っても「それでも、使うな!」ですよ。彼はしょっちゅうオレに、ポジティブで行きましょうとか「空元気でも、元気」とか言っていた。ええい、最初に述べたイタダキマンの妖怪みたいな事を……。オレもさっさと「辛い時に辛いと言えなきゃ、現実的な解決策には至れない」と言えればよかったのかも知れないが、彼の生前とうとう言えずじまい。嗚呼。そんなこんなで、最近のSNSなどの傾向には首をひねっている。

*1:西遊記がベースになっているので、そう言う展開。

*2:最近の傾向は、苦手な人への配慮の域を超えた危険水域に突入した気がするので、つい。

*3:だけじゃないが、今顕著なのはここだ。

*4:同じ病者として、ほっとけん言葉ではないかと思って。

考えがまとまらんので、ツイートもこのブログ書く事も出来ん

 題名のような体たらくなので、今日はツイッターも控えるしブログもこれ以上書けない。書いても書いても、急に嫌気がさしてなあ。ツイッターでもブログでも、考えがまとまらんでごちゃごちゃ言って、誰に相手にされるものか。趣味の話をしても食いつきが悪いし、今は時事を語れる状況じゃねえし。このブログでも、意図的に時事ネタは避けている傾向がある。いきおい似たような愚痴になってしまう、ならばしばらく黙っているしか。明後日までの予約投稿はしているものの、連休中はそれだけになりそう。考えがまとまらんのは、統合失調症の「連合弛緩」と言うものだろう。これが出たら、しばらく言葉が出ない。てなわけでこの辺にするけど、今日はこれからどうしよう? なんにもする気になれん。

ああ、頭を抱えなきゃならん話が……

 香川県で、ゲーム規制条例案が出た。はっきり言って、頭が痛い。条例案の影に樋口進と言う医師がいるのだが、こんな話が。

 ……なんて奴だ、この話だけで相当肝が冷える。とは言え、今のオレに出来る事はない! オレは今出来るだけツイッターの話題に関与しない事にしたのだが、つい見てしまったばっかりに……。

 「地方の、まだ成立してない条例ではないか」と言われそうだが「有害コミック」うんぬんも、地方の条例からでしたよねえ……。それを思うと、気が重い。助けて。そりゃ超党派の「MANGA議連」とかも動いているが、いやな予感はまだ消えない。この手の問題に疲れていい知恵が出ないのとか、いろいろあって。とりあえず、備忘録として書いておく。

三度目の愉快マンガ宣言

a-katu.hatenablog.com
a-katu.hatenablog.com

 上記ふたつの記事で「愉快マンガ宣言」をしたり「愉快って、なによ」と考察したりしたが、実際に愉快マンガは描けている。サブカルビジネスセンター(以下SBC)のツイッターにて「新豊玉三郎(しんほう・たまさぶろう)」名義で描いているマンガがそれだ。自分なりの「愉快」を表現出来つつあるのは、いい事かと。SBCだと、うちと違ってツイッターに耽らず創作出来る。適度な緊張感がねー。

 それにしても、SBCのツイッターでの連載『精神障がいエッセイマンガ』と『ある日の乗鞍家』だが、両方オレが描いているマンガなのに「それぞれ絵の雰囲気が違う」と言われる。マー、前者は出来るだけパソコンでの工程を少なくするように描いているけど、どっちもオレが描いてる事には代わりないじゃないの。もしかしてオレ、絵が上手くなった? ふふん。

 ところが、執筆に関しては今のところ問題がないけど、どう言うわけか、いまだにツイッターでのキーワード検索において「新豊玉三郎」で検索しても、大部分のマンガ*1を載せたツイートが出て来ない。別の方法として、「乗鞍家」のハッシュタグだと見られるものもあるが……。オレが何か悪い事しましたか!? と言いたい。他のSBC利用者によるマンガ作品もどうなんだろう? 筆名が没個性的な人もいる*2んで、それは調べてないが。いや、他人の疝気を頭痛に病む真似はすまい。それで何度も失敗したんだし。

 話を愉快マンガに戻そう、やっぱり実際に描かなきゃ見えないものはあるね。松本零士が「ひたすら描こう。理屈は百万回コネてみても理屈にすぎない」と言っていたが、そのとおりだった。いやはや。これからどうするか、どうなるかはまだ分からない。だが、一本でも多く、愉快マンガを描ければ……。

*1:厳密に言うと、昨年の11月5日よりあとに発表したもの。

*2:つまり、無関係なツイートも拾いがちで、こんがらがる。