昔は「極端になった奴」の方が孤立し、排除されるケースの方が多かったんだけど、今はSNSによって距離を超えて極端な奴が簡単にグループを形成できるようになってしまった。
— 葛西伸哉(HJ文庫『封印魔竜が〜』発売中!ノベリズム『聖なる彼女に~』連載中) (@kasai_sinya) 2021年11月15日
困った事にこれ「孤独な少数者を救うシステム」が生み出した不可避の側面でもある。
その割には、オレはその「孤独な少数者を救うシステム」の恩恵を……受けているな。思い返してみたら。さておき「孤独な少数者を救うシステム」は、縁を繋ぐシステムとも言えるが、縁には悪い縁と言うものもあって。葛西氏が述べた側面もまた、厳しい言い方をすれば悪い縁に導かれた人たちの成れの果てかも知れない。しかし人間、何が悪い縁なのか、すぐに見分けられんのよ。オレもそれで苦しんだ事が多いし……。だからと言って題名にも書いたけど、縁そのものを否定するわけにもいかんし。実際、他人との縁を絶って生きたいと思っても出来ない事に気づいたのが、オレだ。前述のように「孤独な少数者を救うシステム」に救われた以上、そう結論づけるしかないのよ。いい縁だけに当たろうとしても、それは結果だけねだる事でしかないし。
と、書いて放置していたが、あれからこうも思った。「孤独な少数者を救うシステム」の不可避の側面もさることながら、ネットが何でもかんでも明け透けにしちまったばっかりに「そんな話、聞きたくなかったなー……」と、三木聡作のコントやドラマみたいな事を言いたくなる話にあふれたのも、ネットでの意見が極端になった理由ではと。「そんな話、聞きたくなかったなー……」で済ませられないオッチョコチョイが、いらん事をしたばっかりに! トホホ。オレは今、社会派気取りたくないから、これ以上言いたくないけど。