走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

オタクと「リア充」は二項対立でなかったのかも知れないが

 こないだボカロ曲の『桜ノ雨』を聴いていたら、歌詞がオタク向けと言うよりも、もっと一般的な青春……言い切ってしまえば「リア充*1な内容だったのに驚いた。ここから思ったのは、ボカロと言う文化が人口に膾炙する過程でそうなった*2のかと言うのと、もとよりオタク文化は「求めても得られない」世界への憧れを描いていたのかと言うののふたつ。後者についてもう少し掘り下げると、いわゆる「萌え系」アニメの多くが美少女に青春ものをさせてるのはなぜかと考えていた事があって。その考えの中で「青春を謳歌するのが美少女じゃなく男だったら、そりゃ『リア充』になるな」と思った*3のよ。ここから前述の「求めても得られない」世界への憧れを描いていたのかと言う推論に至ったわけです、まだはっきりとした結論ではないけどな。

 と、書いてからちょっと題名を手直ししたあと、話が続かなくなった。マー、前の段落の「ボカロと言う文化が人口に膾炙する過程で」変質したのではないかと言う点も掘り下げようはあるんだけど。『君の名は。*4もまた、そう言う変質を通ったアニメではないかとかね。だけど今はこれ以上言及する気力がない、世の中があまりにも不景気すぎて、それどころじゃ……。あと、オタクと「リア充」は二項対立でなかったとしても、もうひとつの勢力……「DQN」はどうするのかと言う疑問もあるが、そこまで考えていたら収拾がつきそうにない立論だなと思って。誰か繋げてくれ、この話。

*1:思うところあって、カギカッコを付けておく。

*2:それがあるから、米津玄師みたいな人物も出て来たのだろうし。

*3:FREE!』や『ユーリ!!! on ICE』みたいな作品も、近年増えてはいるが……。

*4:アニメの方は句点があるんだから、忘れるなよお前ら……誰だよお前らって。