17年前、児ポ法改正を前にして表現規制反対活動に身を投じたのは、「これはもしかしたら、表現に対し好いた好かぬも言えぬ窮屈な世の中になる分水嶺かも知れない」と危惧したからなんだが……なってしもうたな。まさかSNS時代になり、相互監視や分断がこうまで強まるとはあの頃思いもしなかったわい。まだあきらめきったわけではないが、これからは相当ホネだなと。だいたい、あの頃より金回りが悪く、無茶も出来んし。たしかに山田太郎氏が参議院議員になったり、大野もとひろ氏が埼玉県知事になったりしたけど、なんかまだ危うさを感じるんだよな。
オレが最近絵やマンガを描くのが辛いのは、前述の時代の窮屈さにもよる。なんかこう、お上の都合のいい事しか言えなくなってるのではとか、今のツイッターで目立つ左派のオタク文化嫌い*1だったりとかが、時代の窮屈さを形作っているようで。オタク文化に道徳的な信頼を持ち、なおかつ「サヨクのキチガイ」なオレには、今はいい時代とは言えねえんだよ! こんな時代で何を描けば。もはや社会の木鐸になりたいわけでもなければ、「無気力と自暴自棄」にまみれたマンガで人のフトコロから銭をかすめ取りたいわけでもないし。だからこないだ「愉快マンガ宣言」をしたのだが、まだ実践出来てないし、実践出来るかもあやしくなってるし。心配している間に一本でも、1ページでもいいからマンガ描きゃいいんだろうが、だからそれをどうすりゃいいのか悩んでいるんじゃねえかよ。
なんでこんな事を書くのかって言うと、最初にも言ったツイッターをはじめとするSNSがもたらした相互監視と分断が、社会の荒廃を促しているようでなあ。マー、オレはSNSなんてものがさかんになる前から、あちこち*2で浮いたり足を引っ張られたりしていたけどにゃー。