それにしても、中学時代にローマ皇帝ネロの近親姦についてしつこく言って来た奴も、「セックスってどう言う意味?」としつこく聞いてきた*1奴も、言い合いになった時に「テレビのびっくり人間に出ていた世界一乳のデカい女見て、オナニーしてたんだろ?」といきなり言って来た奴も、今となればまとめて「それ、セクハラやで」と言い返す事も出来ようが、当時はそんな言葉定着どころか輸入もされず。しかし自分を侮辱している事は伝わっていた、畜生。何が腹立つって、言い返す事も、ましてやぶちのめす事も出来んかった事だ! 虚弱に生まれた自分を、何度呪った事か!
しかしなー、こう言う侮辱こそ、男同士のセクハラになると言えるが、ツイッターではセクハラと言う言葉もねじれている。いかんよなあ……。そこはあまり触らないようにして、話をオレの過去に戻そう。前述のセクハラや同級生が教室で堂々とする下品な会話と、自分の性的な興味の対象……例えば当時のエロゲーの濡れ場……とは、なんか違って受け止めていた。これがのちにコメント欄で負次郎さんが指摘した、オレの中の「オタク文化への道徳的な信頼」に繋がるのかしら。当時、欲情するのにうしろめたさがなかったわけじゃないが、「奴らよりはまだマシだろう、奴らにバレなければの話だが」と言う気持ちもあったような。いや待て、性的な興味や悩みを相談出来る相手がいなかったから、不安や恐怖は大きかった……かさねがさね畜生。当時いろんな意味で自由があれば、友達のひとりなといれば、性やらなんやらへの受け止め方もまた違っていたろうに。どこまで不幸なんだよオレは。中学卒業してだいぶ経って、警備員の仕事をしていたら近くの中学校の男子生徒に「セックスって知ってる?」とか「どうせ童貞だろ」とか言われるし……。
それにしても謎なのは、どうして時代を越えて性的な侮辱と言うものが成立するのかと言う事だ。人類のバグなのか? それは夢なのか? それは幻か? ……いくら考えても、答えなんか出るわきゃない。あの頃超能力でもあれば、セクハラしてきた連中を返り討ちにしていたのに。オレにはなんにもないのだー! 過去は「かえらぬむかし」としても、これからどうすればいいのだ……。
*1:その度に、「性別だろ」と返したものの……畜生!