走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「辛いけど、どうにもならない」事

 中学時代、兄の友人で中学の先輩にあたる人物から「お前、いじめられてるそうだが、やり返そうと思わないのか?」と言われた事があった。「出来るわけないでしょ!」と返したら「それじゃお前は、右の頬を打たれたら左も出すんか?」とまで。結局言葉に詰まったが、あの時オレが「人生には辛いけど、どうにもならない事だってあります」と、返す事が出来ていたなら……。「辛いけど、どうにもならない」事があるってのは、齢(よわい)を重ねてやっと分かった事でもあるが、自分の辛さを認識して考える余裕があれば、言えたかも知れない。しかし、あの先輩も先輩じゃ。「おれが話を着けてやるよ」と、とりなしてくれもせず「やられたら、やり返せ」論を……。マー、昭和の田舎の男子高校生なんて、そんなもんだろうが。

 「辛いけど、どうにもならない事」は、その間に「ひとりでは」が入る場合が多いが、残念ながらオレに味方しようと言う奴は、中学時代どこにも。それを思うと悲しくて泣きたくなる……。あと、中学時代の兄には友人がいたのに、オレは嫌われ者でげすよ! 何が「でげすよ!」だよ……。自分に言い返すな。こんな事書いてないで、絵やマンガを描いていた方がいいのかも知れないが、そうはイカサマ金(きん)隠し。なんのこっちゃ。最後に言わせてもらうが「やられたら、やり返せ」論も、誰もが同じ事をして同じ結果が出るはずと言う悪しき平等主義いやさ全体主義ではなかろうか?