えー、題名から分かるように、また恋愛についての後悔話です。何度か言ったけど、「競争としての恋愛」から降りて別の幸せを探そうと生きて来たはずが、それも失敗だったようで。「別の幸せ」のビジョンが、全くなかったもん。たとえば、「趣味なんてものは、一人前に働ける者がやる事だ」とか、「(絵を描く事に)見切りを付けろ」とか、親父が呪詛を吐いて来たばっかりに、趣味に耽溺しきれんかったもんなあ。気がつけば、孤独な中年男性に……、もうすぐ実年だがな。オレは確かにオタクだけど、恋愛に背を向け切れなかった*1のは事実だ。今、異性の友人知人なといればまた違うのかも知れないが、サブカルビジネスセンターでもそこまでの仲になった女性はおらんし、最近は話すのがまた怖くなっているし。と言うか、あそこでマンガ描きやパソコンでの作業に集中していれば、会話している暇なぞあるかいっ! ……こう言うところなんだろうねー、オレがモテないのは。いわゆる「ギャルゲー」でも、恋愛成就したためしないし。……って、そんなにその手のゲームプレイした記憶もないが。今やゲームからも、離れてしまったしねー。
私は二次元キャラクターを生身の人間の代用と考えた事はありませんが、生身から二次元に気持ちが移っていったいくつかの理由の中に、異性にモテなかった事と、いじめられた事の影響は確実にあります。しかし、それは二次元キャラクターを好きになった直接の理由ではありません。(続く
— 近藤 顕彦【 ⋈ 】3日目(月)南ノ-14b (@akihikokondosk) 2019年12月20日
続き)二次元キャラクターには、そうした悲観や絶望から人間の心を救ってくれる力があります。容姿だけでなく、言葉や行動の中に、人間が恋焦がれるだけの魅力を備えていると思います。将来、AIやロボットも、人間を悲観や絶望から救い、多くの魅力を備えて、人間から好かれる事になるでしょう。
— 近藤 顕彦【 ⋈ 】3日目(月)南ノ-14b (@akihikokondosk) 2019年12月20日
オレはこの人みたいに、ここまで二次元に期待出来ない。一回宗教に走ってしまってから、のめり込むのにブレーキがかかってしまってなあ。いや、それ以前に家族が……。言うとキリがないが、オレにとって二次元が絶望から這い上がる力足りえたと宣言するのは、今はためらわれる。その辺は下記記事を参考にしておくれ。
a-katu.hatenablog.com
a-katu.hatenablog.com
と、ここまで書いて、オレはそんなに人間好きだったかと言う疑問が。家族や学校や宗教や勤め先が、人間不信の種を植え付けたんだし。その人間不信が和らいだから、急速に人恋しくなってしまったのかも知れないが……。下記記事ほか書いているうちに、恋愛から逃げていた自分に疑問が出たのもあるけど。
なんか書けば書くほどわけ分からなくなってるし、言い訳がましくも感じられる。それでも話を続けると、恋愛以前に人間関係の構築・維持が下手な事が元凶な気がして来た。さんざんばら書いたように、オレの前半生があまりに荒廃していたため、いろいろ臆病になっちまったからなあ。これからどうにかしないと……。
*1:オタクである事と、恋愛から降りる事は、必ずしもセットではないが。