何度かモテない男がひとりで生きるにはどうするかに対し「結局宗教かよ」とか「修行僧のような生活をしろとでも?」とか言っていたが、そうしろと思ってたのは、他ならぬオレ自身だったのでは。そう思うようになったのは、いろんな要素が重なったのだろうが、世のモテない男にとっては「余計なお世話」だったかも知れん。と言うか、モテない男に「修行僧のような生活をしろ」と強いるのは、以前から言っている「禁欲主義と英雄主義の混同」な気がして……。そりゃまずい。ところで、オレはここまで「モテない男」の話しかしていない。それはオレ自身の問題だからと言うのと、ツイッターの我がタイムラインを見ると「愛情なんか幻想だ」と割り切って、したたかに生きてる女性が多いように見受けられて。それはそれで偏見かも知れないが、こういう話が出来る相手がおらんから、意見の修正も出来ずにいたのよ! このブログでいくらネタふっても、食いつき悪いし。
オレはオレで「女性からの愛情を受けられんなら、絵に集中して別の幸せを追求するしか」と思っていたはずが、それも得られず……。前から言ってるけど、趣味と恋愛はバーターではない。しかし、オレは両方は得られない気がしてたんだ。「公正世界仮説」などが邪魔をしてなあ。ところで「初音ミクと結婚式を挙げた男」として有名な方が、こんな事を。
「生身の異性と結婚して、子を産み、育て、家族に囲まれて息を引き取る」という幸福の定形がありますが、言うまでもなく、これは万人を幸福にできる概念ではありません。社会が作った幸福の定形にそのまま乗る方が安心感はありますが、自分の幸福は、自分で考えて定義するのを私はお勧めします。
— 近藤 顕彦【 ⋈ 】ミクさん大好き (@akihikokondosk) 2020年5月19日
そう、オレは「自分の幸福を自分で考えて定義」するのに失敗したのだ。「どうせオレは幸福になれない」と捨て鉢になってしまって、二次元に耽溺する事もままならなければ、いまだに表現者としてもパッとしない。言い方が悪いが「気持ちが乗り切れてない」と言うか。これは下記記事にも書いた「情を失いつつあった事」とも関係して来るだろう。何を見ても心動かなければ、耽溺も表現も出来るもんかい。それは持病も大きいんだが、前述のように捨て鉢になってしまったのも。と言うか、上記ツイートの方みたいに、辛い時趣味に耽溺する事が出来んかったせいで! 収入が安定せずいろいろ辛かった時こそ、趣味で自分を支えりゃよかったものを「マトモに働けんなら、いつ死んでもおかしくないし、幸福にもなれない」と思ったばっかりに……。
前述の「マトモに働けんなら、いつ死んでもおかしくないし、幸福にもなれない」と言う考えこそ「公正世界仮説」と「自己責任」の悪魔合体ではないか、なんでそんな考えを。世間に流されたからでしょうなあ……。だから題名などで述べた「モテない男は修行僧のような生活をしろ」と言う考えに、地滑りのように到達したのか。なんてこった。繰り返すがそれは他人様にとっては「余計なお世話」でしかなくて。オレ自身も「修行僧のような生活」はしてないし、もう出来ないでしょう? ならばこれから、どう生きればいいのか。まだ答えは出ないだけじゃなく、話に乗って来そうな者もいない。嗚呼。
と、書いたところで、こんなツイートを見つけた。
女性蔑視主義者「インセル」は「不本意な禁欲主義者(involuntary celibate)」の略で、恋人がいなくて禁欲を強いられているのは女性のせいだ、と考えるオンライングループの男性を指すことが多い。 / “カナダで「童貞テロ」を初訴追──過激化した非モテ男の「インセル」…” https://t.co/sJcoeW9fVZ
— Oricquen (@oricquen) 2020年5月21日
オレも「インセル」になるところだった。「オレがモテないのはどう考えても女が悪い!」と言う、どっかのマンガのタイトルみたいな事は言った覚えはないけど、ミソジニーは内面のどこかにあるんじゃないかとぞっとして。一方で「インセル」的な考えに「バカか、てめえ」とも思うんだが……。「インセル」問題は別の機会に、項をあらためて書くことにする。