走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

情を失いつつあった事に愕然

a-katu.hatenablog.com

 先月、上記記事を書いた。それはいいんだが、この記事にアップした桜を見ても、その時「綺麗」と思えなかった*1のだ。記事の中で「見事に咲いている」と表現はしたものの、花を見て綺麗と思う情がないのかオレはと、思い返したら寒々とした。これに限らず「自分はどうとも思わんが、人は喜ぶだろ」レベルの感情で絵や写真を挙げているのに気づいて、愕然としている。「感情に振り回されちゃいかん」と、ネットで発言する時考えていた*2ら、これや……。いや待て、情に訴えて話をしたら「必死だな」と嘲笑して来た連中がいかん。そんな連中に気を取られるオレもオレだが、他人の情や行動を冷笑して自分はとことん安全圏にいようとする連中も連中だ。他にもオレは持病の統合失調症で、感情鈍麻が強い側面もある。いずれにせよ、情を完全に失ってはいかん。あやういところだった。それでも、数年前……今よりこのブログの文章が短かった頃……に比べれば、感情は豊かになっているんだけど。それでも、落胆や「納得いかない」的な感情が先に来て「綺麗」みたいな感情が弱かったのは否定出来ん。先月はコロナウイルス禍の影響も大きいのかも知れなかったけど、人の情みたいなものをこうまで喪失していたとは。繰り言になるが、ぞっとする。

 オレは情にほだされて失敗した事多い人生だが、だからと言って世間の薄情な連中の真似なんか出来るもんかい。確かに、花などに心動かす事と、人情と言うのは違うかも知れないが、感情がキチンと機能しないと、行動まで薄情になってしまいそうで。自分を客観視する事と、薄情になるのも違うんだし。てなわけで、もうちょっと喜怒哀楽を込めて行動しよう。そうしないと、ますます情を失ってしまう……。

*1:写真を撮るくらいだから、全く感情が動いてなかったわけではなかろうが、後述する「自分はどうとも思わんが、人は喜ぶだろ」みたいな気持ちが先立っていたかも。

*2:文に感情を込めるのも時と場合によるだろうけど、それに気づかんかった……。