走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「甲斐性のあるパートナー」問題、続く

a-katu.hatenablog.com

 上記記事で「甲斐性のあるパートナー」うんぬんと言ったが、そこについてもう少し。上記記事で取り上げたインターネットラジオの出演者は女性で、添い遂げた相手が非常にいい男性だったのが共通している。しかしオレのようにとうが立った独身男性の場合、「支えてくれる女性」にめぐりあうのは非常に難しいような。おまけに生活だけでなく、行政や各種機関に提出する書類の製作やらも自分でせにゃならんし。特にオレは人間関係構築能力にも難があるから、行政に頼るのもひと苦労だからなー。そう、「行政に頼る」にしても、それが難しい男性も珍しくないのよ! 「甲斐性のあるパートナー」になったり、見つけたり以前の問題なのよ! 障がいを持ち、かつ弱者男性な場合、人生はわりと無理ゲーなのだ。いまだ男社会の根強い現代日本だが、男性でもマジョリティでなくなったら苦労する。今まで目を背けていたが、そこが今のオレにのしかかっている……。と、書いていて、オレもまだ旧態依然とした「男らしさ」の呪縛に囚われているような気がして来た。それが男女問わず、人を苦しめているってのに。しかし「男らしさ」から降りれば自由になれる気がしていたけど、降りたあとどう生きるかを全く考えてなかった……。そのため今になっていろいろしわ寄せが来ている気がするが、今は「甲斐性のあるパートナー」の話だ。これからどうなるかは全く分からないので言い切る事は避けたいが、今のオレの状態で誰かの「甲斐性のあるパートナー」になれるような気はしてない。また、「甲斐性のあるパートナー」を得られるかも分からない。しかし生きねばならんとも思う。サブカルビジネスセンターに通うようになってから少しずつ捨て鉢な思考が治って来ているため、そんな考えに。

 件のインターネットラジオのテーマが障がい者の恋愛だった上に出演者がそれぞれいい関係を築いてたため、オレの人生なんだったのかと言う気持ちに。そこを離れて客観的に書こうとしたが、それが間違いだったかも知れん。素直に、「オレも支えられたい」と言えばよかったのかしら……。なんでこんな話をくどくどするのかって? 距離的に身近に「支えてくれる相手」などがおらんので、いろいろ苦しい思いをしている時にラジオが追い討ちになったところがあったんだよ。ただ、今のままで人生終わっていいのかと言う、自分への疑問も出たのは確かだ。