走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

障害者にも強者と弱者がいる

 ふと思ったのだが、自分の障害を文章やマンガにしたためて世に問う事が出来る障害者って、障害者としても相当の強者なんじゃなかろうか? それには「自分がどう言う状態か」と自分を客観視出来なければ難しいし、何よりそう認識出来る環境が必要だ。これが等しく全ての障害者に与えられている世の中かと言うと、「そうだ」と言うにはうすら寒いし。だとしたら、障害者の声と言うのも見えない格付けみたいなものが発生しているのではないか? と、背筋が寒くなる。この場合の障害者には、身体・精神・知的の区別はわざとしてない。思うところがあって。

 とか書いていたら、オレが今の就労支援施設で絵やパソコンを学んでいるのも、「少しでも世の中の役に立とう」と言う、さもしい考えによるものなのではと言う気がして来た。やまゆり園の事件の犯人と、どう違うんだ。いや、最初は就労支援施設の話を聞いて、「時にあなたたち、面白そうな事しているじゃない? 私もまぜてよ」と思ったから行ってみる事にしたんじゃないか。やまゆり園の事件の犯人とは違うわよ、流石に。だいたい、自分を客観視出来ているかどうかについては、健常者とされる連中の中にも、ずいぶんあやしいのがいるし。

 オレは自分の持病が精神障害に相当するとしても、それを強く意識してなかった。だから持病と言っていたんだが、せっかく文章やマンガをしたためるだけの力はあるんだから、意識して発信した方がよかったのかしらと……。いや、しばらくややこしい事は考えまい。いくら考えても、話は広がらないんだからよおーっ!