どうにも思考がやけくそになり、自分の中の残酷な側面や暴力的な側面が、自分の手でぶち壊せそうなものをぶち壊せとささやいて来る。それには自分の命も含まれるのだから、余計に困る。なんでこうまでやけくそにならなきゃならんのか。仮に自らの残酷な側面や暴力的な側面を押さえ込んだとしても、そのあとどうしたらいいか……。今まで地道に話をして人に訴えかけたものの、効果がはっきりする前に客観的な状況が悪化してしまったり、持病によってマトモな判断が出来なくなったり。マー、持病による判断力の低下は否定出来んのだが、それを強調しすぎると「精神を患っている者は何も言うな」とか、最悪T4作戦を生んだ優生思想におちいってしまうし。要するに自分の中の残酷な側面が、オレ自身に死刑宣告をしちまってるのがいやだ。なんでこんな事に。「このままだと、悪化した客観的な状況に殺されてしまう。その前に死んだ方がいいのかも知れん」と言うあきらめが加速して、自分の中の残酷な側面を調子づかせているのだろう。全然マッチョでもないオレが暴力を肯定しちまったら、それこそ金がない者が「世の中全て金」と考えるくらい不幸な話ではないか。だからと言って、代替案が思い浮かばん。持病や認知の歪みで客観的な状況が読めないやら、そもそも判断材料が少なすぎるやら。
さりとて気晴らしをしても、その間にますます酷い事になるんじゃないかと言う懸念や不安が。いや待て、そう考えて上手くいったためしもない。気晴らしする時には、気晴らしに集中しようかしら。しかしなー、やけくそになってツイッターで連続ツイートしても、あまり気は晴れなかった。結局、ツイッターもSNSだから、人との繋がりが薄い者には酷な場所だったのかも。