走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

サブカルビジネスセンターでの活動のひとつ

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 上の4枚の画像は、オレが去年サブカルビジネスセンター(以下、SBC)でやった活動のひとつだ。ミニ四駆の後方についている、キャラのシートな。これはオレがAdobeイラストレーターを使い必死になって作った画像を、SBCの方でシートにしてくれたんだ。今、イラストレーターでここまで作れと言われて、キャラを作れる自信はないが……。尻込みしてちゃいかんけど、長らくイラストレーターに触ってないからなあ。

 さておき、SBCでは絵の基礎からAdobe製品の使い方などいろいろ学んできた。精神を病んでいても、オレはここまで出来るんだぞと胸を張りたい気持ちと、スキルがないと障がい者は生きていちゃいかんのか? と言う疑問とがせめぎあっている。後者は、相模原の「やまゆり園事件」を思うと、どうしてもね。だからオレはSBCに「面白い事」を求めて通っている側面はある。実際似たような話は、SBCの『精神障がいエッセイマンガ』でも描いたし。あまりこの辺の重い話をすると収拾がつかなくなるので、SBCの話に戻そう。SBCは公式サイトにもあるように、仙台にもあるし、この秋には東京・福岡*1にも進出する。サブカルと言うかオタク系のジャンルによる障がい者の就労支援と言うのは、こんなにも潜在ニーズがあったのかと、スタッフでもないのに思う。障がい者の就労支援と言うのが、いわゆる内職*2ばかりでは、合う合わない以前にスキルが活かせないで苦しむ者もいるだろう。オレもそうだった。してみるとオレは、SBCに入って正解だった! そうしてなかったら、オレは苦しみつつ死んでいったろう。誰ぞの言葉にある「面白き 事もなき世を 面白く するのは人の 心なりけり」ってやつか。オレに恒産と学歴があれば、アニメ・マンガ系の専門学校に通って似たような事が出来たのかも知れないけど……。「アニメ・マンガ系の専門学校」で思い出したが、そう言うところに通っても挫折する者はいる。オレも何人か見て来たし。オレもSBCで、挫折せんようにしなきゃねー。

 繰り言になるがSBCに通ってなかったら、セルフネグレクトも改善出来ず、CLIP STUDIO PAINT導入のために中古のパソコンを買おうとか思ったりもしてなく、ツイッターの暗い話に打ちのめされながら死んでいった事だろう。転機と言うものはあるもんやなあ。

*1:公式サイトによると、時期は未定だけど福島・大阪・兵庫にも開設予定。

*2:SBCでも、それ専門にやってる利用者はいるけど。

アマチュア軽視の弊害

 こんなツイートを見つけた。

 それを受けてオレは、こんなツイートをした。

 なんで素直に最初のツイートに首肯しないのかと言うと、この一連のツイートを見たからだ。

 マンガは今の相撲界よりアマチュアの裾野が広いと思うのは、こう言う意見もあるし同人誌即売会やネットなど「アマチュアが描いて発表する」場があるからだ。一番最初に引用したツイートも、そこの視点が抜けているようで気になる。職業として見た場合、マンガ家ほど厳しいものも少ないのは同意するんだが……。んで、題名に書いた「アマチュア軽視の弊害」だけど、青木偉生さんの言葉と、それを受けた横山浩子さんの言葉にそこが指摘されている。それでも、きょうび絵やマンガは「プロになれなんだら終わり」と言う世界でもないからな。そこも相撲と大きく違うところだ。「相撲道」とか「伝統と格式」とか言ったものに縛られている相撲は、そうはいかないような。それで「図星」さんの言うような厳しさだろ? してみると、わたしゃ番付が下だったり、それに載る事もない力士たちに心底同情します。

 オレのツイートでも「ひとり遊び」として絵描きは成立するけど、相撲はそうはいかない事に言及したが、スポーツは結構そう言うところあるよね。と、言ったところでこの記事終わる。

そりゃ、向き不向きはあるんだろうけど……

 今日、サブカルビジネスセンター(以下、SBC)でAdobeの動画編集ソフトを学んでいたら、講師から「器用」と言われた。正直、ビックリした。びっくり捕物帳。それはいいとして、器用ねえ……? 23年前、オレを殺そうとした鉄工所では「絵に描いたような不器用」とまで言われたんだぞ! 鉄工所がロクでもない所だったり、人に向き不向きがあったりを勘案しても、この差はいったい? だからビックリしたと。いやいや、オレにはコンピュータいじりが向いているのと、講師の方とも気心が知れているからだろう。むしろ喜べよ。しかし、はじめてWindowsを触った*122年前は、職業訓練の講師から匙を投げられるほど上手く行ってなかったのに、どうよ。人間、成長するもんなのね。

 しかしなー、Adobeと言えば、イラストレーターの操作はだいぶ忘れてしもうた。SBCのAdobe製品は他の人も使うため占有しづらいのもあって、触らないでいたら、これや……。折を見て涎掛けを付けて、やり直すしかあるめえよ。こりゃ。まあ、完全にゼロからのスタートではないけど……。それにしても、去年SBCの前身を知って「時にあなたたち、面白そうな事しているじゃない? 私もまぜてよ」と思って飛び込んでみれば、こうまで自分にプラスになろうとは。転機と言うものはまだあったのね。呉から広島市内までエンコラヤアコラ通うのは結構しんどいが、そのぶん身にはなってる。オレの伸びしろどこまであるか知らんが、出来る限りやるまでよ。

*1:ちなみに、まだWindows95の頃だ。

明日からしばらく沈黙する

 帰宅すれば心身ともに疲弊して、書き物に回る知恵もない。明日からしばらく沈黙する! 復調すればまたぼやくけどな。

 と言うか、あまりに孤独が辛くてツイッターでぐずぐず言ってたんだが、やってて悲しくなっちまって。ガス抜きのつもりでやった事なんだが、そんな事している自分に腹が立ってなあ。あー、だからか。自分の楽しみと言うものを無意識のうちに否定しちまうから、こうも辛い人生なのかも。そうなったのには、周囲に酷い目に遭わされた人生が長かったからなんだけど……。今、いちいち書き直したくもないから、それは言わねえけどな。こんなこっちゃダメだ、残り少ない人生を楽しもう。

 とか書いていたら、また落ち込んで来た。誰か笑わせて。

心に棚を作って「ない事に時間取るな」を活用する

 寝ぼけながら藤子・F・不二雄の『ヒョンヒョロ』の事を思い出したら、めっさ気分が悪くなって寝られなくなった。嗚呼。気分が悪くなったのは『ヒョンヒョロ』もまた藤子F短編によくある酷いオチだったからで、どうやってあれに対するアンチテーゼを描こうか考えたが今思いつかなかったのも加わって、のたうち回る破目に……。こうなりゃSFを評価する上の禁じ手である「ない事に時間取るな」で切り捨てるしかねえか。でもそれを言い出したら、世の中のフィクション総崩れになってしまう。どうしたものか? いや待て、心に棚を作り、局面局面によって「それはそれ、これはこれ」を使い「ない事に時間取るな」を活用するべきか……。だからあんな題名に。と言うか、オレは悔しいんだよ! いつまで経っても、自分の嫌いな話や納得出来ない話へのアンチテーゼになる話を描けない事が! 今、サブカルビジネスセンター(以下、SBC)で描いているマンガだって、藤子F短編をネタにした事はあったが、アンチテーゼにはなってなかったしなあ。マー、オレの恥はSBCの恥になると思って、やたらケンのある話は描けないと言う縛りはオレの中に設けているんだけど。と言うか、京に上って足利尊氏の墓を鞭打った高山彦九郎気取って「おまえのマンガはクソじゃー!」と言いつつドラえもん型の藤子Fの墓*1を、まきざっぽでぶっ叩くバカを描いても、藤子F短編へのアンチテーゼにもならないし、第一面白くない! ましてや、SF総体をこき下ろすマンガなんぞ論外だろう? そう思うと、他にアイディアがない自分に嫌気が。

 ところで、オレが二言目には気に入らない作品へのアンチテーゼを描きたい描きたいと言うのは、そうしないと焚書を肯定しかねないからだ。恥を忍んで言ってしまえば、オレもむかし本屋に対して自分が気に入らない本を置くなとねじ込んでしまった事があった。当然断られた! そんな人間であるオレが、いつ表現規制焚書を肯定して、他のネット上のバカと同じ……あるいはそれ以上の……愚挙や暴挙に走るか分かったもんじゃねえ。幸いにして、絵やマンガを描くスキルがあるから、かつての失敗も踏まえ焚書をたきつけるより自分でアンチテーゼになる作品を描いた方がいいと思ってもいるんだが……。これは、下記記事などで自称フェミニストとかに言う「だから、どう言う女性の絵を描けばいいんだあっ!」にも繋がる。

a-katu.hatenablog.com

 そりゃ、世の中誰にでも絵やマンガを描くスキルがあるわけじゃないけど、そのスキルがあるのに屁理屈をこね回してオタク系コンテンツの女性像叩きに終始している連中をこの世から追い出すわけにもいかんから、つい。そんな連中よりオレの方が、創作者としてはずいぶんマトモやわ。そう思うと、少し安心した。

*1:以前ネットで見た事があるが、墓所までは知らん。

ダッシュ、セブン!

 うっかり目が覚めてツイッター眺めていたら、大坂なおみさんへのレイシズム丸出しの中傷ツイートを見て*1しまい、非常に機嫌が悪い。そのツイートの日本人至上主義に頭に来て『死ね死ね団のテーマ』を聴いちゃいましたよ。この歌を作詞した川内康範の方が、よっぽど愛国者で国際人じゃわい。なぜか? 死ね死ね団はあくまでレインボーマンの敵で、主題歌『行けレインボーマン』において謳われた人類愛こそ、川内が伝えたい事であったろうからだ。しかしツイッターではレインボーマンを自称し、アイコンにまでしている「ネトウヨ」を見た事があるから、さあ大変だ! と言うか、真夜中にこんなぼやきをさせるな。

 しかしなー、こうして書いてみると、川内が竹熊健太郎によるインタビューで言っていた「レインボーマンのテーマが活きているうちは、決していい世の中じゃないんだ」と言う言葉が染みる。いや、むしろ日本人の国際感覚は、レインボーマンが作られた70年代より後退しとりゃせんか? トホホ。しかしここであきらめては、足下の川内康範に申し訳がない。なんとかしなくっちゃなあ……。

*1:あくまで、否定的なコメント付きリツイートに付随するものだったが。

親父と同じところには、行きたくない……

 1988年の「死ぬんなら、勝手に死ね!」はじめ、親父にはさんざん悪態をつかれた。ゲームしてたら「ゲームなんて、卒業せえ!」とか、絵を描く事に対し「見切りを付けろ」とか……。今、それを思い出してげんなりしていた。と言うか、泣けてきた。なんであそこまで言われなきゃならんのよとか、なんでさっさと親元を離れられなかったのよとか、いろいろ頭によぎって……。それで、さっき死のうかと思っていたけど「仮にあの世があったとして……、そこが生前の行いで行き先が決まるものだとして……。今死んだら先に親父が待っているところに行くだろうな。そんなところに、行きたくない……」と思ったら、急に「今」死ぬ気がしなくなった。冗談じゃない、親父と同じところなんかに行かされてたまるか!

 しかしなー、確かに欲だし「ない事に時間取るな」と言われたらそれまでなんだが、オレが1988年に親父から「死ぬんなら、勝手に死ね!」と言われたあと、絵やマンガを真剣に描いていて、さっさと親元を離れていれば、今のオレはこんなに苦しまんでよかった気がする。あの頃「このままじゃどうにもならない、だけど何にも出来ないからどうしようもない」と人生あきらめなければなあ……。これから出直すしかないんだけど、今すっげえ自信がない。とか書いていたら、前の段落書いていた時よりげんなりして来た。これじゃ人生やり直すために今までして来た事が無駄になる、なんとか気を取り直さんといかん。話を前の段落に出た親父の悪態に戻そう。死ぬのは論外だが、仮にあの頃ゲームや絵描きをやめても、人生がつまらなくなるだけだったろうな。それで無理して働いても辛いだけだ、下手すりゃホントに死んでいたかも知れん。それでよかったのか? いいわきゃねえだろう?

だから、どう言う女性の絵を描けばいいんだあっ!

 小島慶子さんが6期鬼太郎のねこ娘を「ルッキズム」だなんだと言うから、クソリプ承知でこんなコメント付きリツイートしちまったよ。ホントの事言うと「ルッキズム」うんぬんより、題名に書いた事が先にある。こう言う話題でアニメやマンガやゲームを攻撃する側が、それを答えたためしがない事も承知で、今回は言っている。なんかいろいろ引っかかるものがあってのー。小島さんがオレに返答する事も、もはや期待していない。オレが上記ツイートを書いた時点で、かなりの数のリプライがあったし、ツイッターの公式マークがついたアカウントが、いちいちオレを相手にする事はまずないからな。

 そんなこんなで、あえて言う。

だから、どう言う女性の絵を描けばいいんだあっ!

 正直オレは怒っている。どいつもこいつも、文句は言うが新しい女性の絵を見せちゃくれんので。特に自ら絵を描くはずの「ヨxist」を名乗る連中がだっ! 「新しい」ものでなくてもいいから、お前らはお前らの文句とどう折り合いを付けて絵を描いているのか、出来るものなら見せてみろ! 今日はかなり頭に来ているから、ケンもトゲもあるし、カドも立ちまくりな文章を書く。オレは一絵描きとして、これ以上放っておくとホントに「女を描くな、女から抗議が来る」と言う事になりかねんから怒ってるんだからな。それが杞憂ならいいけど、何描いても文句言う連中が何をどうしたいのか分からん以上、言うしかない。あと、もっと絵描きに仲間がいれば、この話も持っていけるんだが、それも叶わず……。

 この件に関するオレの怒りは、この記事だけでは表しきれん。だが、書くしかなかった。こんな形で、オレの懸念が当たってしまってはな。ちくしょう。

誰が言ったが知らないが

 「カステラの法則」と言うのがある。たとえば「カステラが好き」と言い続けていると「カステラが好きな人」と周りに認知され、カステラをもらえる機会やチャンスが増えると言うものだ。それは言えまる、オレもこないだ友人から麻宮アテナのグッズをいただいた事だし。オレがさんざん好きだと公言したり、絵を描いたりしてたものだから「カステラの法則」が発動したのか、ありがたいことだ。最近になって、運が向いて来ていると言うか、いろいろいい事が起きている。サブカルビジネスセンター(以下、SBC)に通うようになってセルフネグレクトが少しずつ治って来たり、前述のようにグッズもらったり。と言うか、それまでの人生が酷すぎたんだっ! 殺されかかるとか。SBCに通うまで「もう、これ以上いい事はないかも知れない」とふて腐れていたが、間違いでしたね。いい事はあるんですよ、ただ、それに私が慣れてないか気づかないだけで。それは前述のような殺されかかるほどの酷い人生が影響しているのだが、ゲーセンに通うようになった頃も「オレはひとりじゃなかった! ここには仲間がいた!」と思えたんだよな。節目節目に、いい事や転機はあったみたい。前述のゲーセンの件も、「カステラの法則」が働いた結果かも知れんし。誰が働かせたのかって? オレだよ、オレ自身だよ。オレがゲーメストマイコンBASICマガジンで垣間見た、オタクと言うかゲーマーの梁山泊としてのゲーセンに、自ら入っていったと言うか。それは自分で自分に「カステラの法則」を働かせたと言えなくはないかい? そう、オレはもっと自らに「カステラの法則」を働かせるべきだ。今まで嫌いなものにばかり目を向けすぎていたから、人生が楽しくなかったんであって。

 しかし、こうも運がめぐって来るとは思わんかった。人間(じんかん)万事塞翁が馬だな。