オレが使っている、古い方のWi-Fiの下で使えるスマホだと、GoogleChromeの普通のタブからこのブログにログインする事が出来なくなってしまった。なんなんだ。シークレットモードのタブを立ち上げたらログイン出来るんだが、なんでやねんとしか。気になって、まだ寝られない。はてなに問い合わせようにも、あまりに書式が煩雑でなあ。
とか書いていたら、眠くなって来た。寝る!
オレが使っている、古い方のWi-Fiの下で使えるスマホだと、GoogleChromeの普通のタブからこのブログにログインする事が出来なくなってしまった。なんなんだ。シークレットモードのタブを立ち上げたらログイン出来るんだが、なんでやねんとしか。気になって、まだ寝られない。はてなに問い合わせようにも、あまりに書式が煩雑でなあ。
とか書いていたら、眠くなって来た。寝る!
ようつべの東映特撮オフィシャルで『超人機メタルダー』をやってて、少しずつ見ているのだが、本放送の時はオレの家庭がとても荒れていた時期。それも少しずつ思い出し、辛くなる時が。現段階での展開は、強大な悪の帝国がメタルダーの出現により少しずつほころびを見せ、崩壊に向かって行く序曲なんで見ていてワクワクするんだけど。当時世はバブル、一度に大量の怪人や怪ロボットたちを投入したり、首領のゴッドネロスは経済面からも世界を手中に納めんとしたり、時代であります。それはさておき、本放送の頃の自分の辛さが蘇ると言うのは、何でも自分に引き寄せすぎ。割り切ればいいのにと、我ながら思う。
この記事を書いている時点(4月6日現在)で配信されているエピソードは、タグスキーとタグスロンのタグ兄弟の話と、オリンピック選手から怪人に落ちぶれたバーロックの話か。どちらも兄貴が家庭内暴力ふるいまくりの時期に本放送していた話で、特にタグ兄弟の話は「兄弟の絆」とやらに言及してたので、見ていて辛かったなあ。今見たらどう思うのだろう? これを書いている時点では、まだ見てないのよ。辛くて。
メタルダーについては他にもいろいろ思うところがあるのだけど、この記事ではあまり掘り下げない。何度も言うけど、オレの暗くて辛い思春期を思い出すので……。なんでオレは、いらん苦労やらせんでもいい回り道やらしてたのよっ!? どうすりゃ埋め合わせ出来るんかなあ、埋め合わせじゃなくても、吹っ切れるだけの事はないかなあ?
これを書いている時、急に胸が苦しく。ツイッターでやれと言われそうだが、今あそこに寄りたくない。しばらく落ち着くまで、この記事を書いておく。いろいろ忙しくて、ブログ書いている暇もないはずだが、今はなんもかんもやりたくないので現実逃避を。苦しくて、起きてられないくらいなのよ。
それはそうと、ツイッター見る暇がないくらい忙しい時は精神状態が安定している。ツイッター、ロクな話がない……。何でそう言うのかは、簡単には説明出来ない。言えば胸が苦しいだけじゃなく、あらためて不愉快になるので言いたくないし。マー、悪しき新自由主義者は滅ぶべしとだけ。いい新自由主義者なんて、いないけどにゃー。
とか書いていたら、胸が楽になった。疲れや精神的なものが、重なっただけかも知れない。とは言え、オレはもうダメかも。上手く言えないんだが、状況はよくなっているのに悲観が抜けないんだよ……。
斉藤光政『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』であふうって声が出たところ:(安倍晋太郎は)「和田(=東日流外三郡誌の作者)らに東北蝦夷の首長である安倍一族の末裔と持ち上げられ、その気になっていたという。その結果、境内に残されたのが「安倍晋太郎先生墓参記念植樹」の標識である」
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2019年4月5日
「晋太郎の死後も、安倍ファミリーによる外三郡誌ゆかりの地の巡礼は続く。その一つが、和田家文書によって新しい聖地の一つとみなされた田沢湖町・四柱神社への洋子夫人の訪問(一九九三年)である」……いい文書ですね。前へ進めてください。
— 早川タダノリ (@hayakawa2600) 2019年4月5日
うわあ……。としか。そう言や竹田恒泰も、竹内文書と言う偽書について、下記の過去記事にあるように「記紀を補完出来る部分があるのではないか」と言っていたことがあったっけ。そんな事を言いつつ、「憲法学者・歴史学者・考古学者は極左だ、見つけたら蹴っ飛ばせ」とも言ってたんですよ。どんだけ「変に右翼的な人」に、トンデモが浸透しているんだ!? ああこわ。
あ、「変に右翼的な人」と言うのは、田中芳樹氏が山本弘氏との対談*1で右派系トンデモさんを指して言った言葉。右派系トンデモさんと言えば、太田龍や武田了円、志波秀宇などを思い出すが、山本弘氏などが『トンデモ本の世界』を執筆して24年、「変に右翼的な人」はますます勢いづいてしまった! 嗚呼。オレも最初に『トンデモ本の世界』を読んだ時、「変に右翼的な人」が多くてちょっと恐怖を感じた。その時はオレに何も出来やしないと思い、山本弘氏がかつて考えていた「ちょっと真面目な本」に期待をするしかなかった。この「ちょっと真面目な本」と言うのは、前述の田中芳樹氏との対談で話が出て来たもので、前後の文脈からするに、擬似科学批判本の古典であるマーティン・ガードナーの『奇妙な論理』の一章「憎悪を煽る人々」のような差別的なトンデモ本批判の本だったのだろう。だが、すぐには出なかった。確か何らかの形で世に出たと思うんだが、失念した。すまぬ。山本弘氏の言う「ちょっと真面目な本」が、もっと早く世に出ていればなあ……。
あと、『トンデモ本の世界』が発行されたのは、地下鉄サリン事件とほぼ同時。そのためオウム真理教のような連中がトンデモさんと目され、「変に右翼的な人」への警戒は手薄になった感が。山本弘氏は『トンデモ本の世界』で、トンデモさんが危険な思想を持っていても弾圧すべきでないと言った。「間違った思想が弾圧されるような時代では、正しい思想もまた弾圧される」*2からだとか。続刊の『トンデモ本の逆襲』においては、地下鉄サリン事件などを踏まえ「明確な実害がある場合を除いては、言論の自由は守らなければならない」と言っていたけど。今の「変に右翼的な人」の活況を見ると、『トンデモ本の世界』で笑えた頃が懐かしくもあるし、あの頃にもっと警戒していれば、こんな事にはならなかったかもと「たられば」も出て来る。しかしよく考えてみたら、と学会には唐沢俊一もいたので、あまり期待しても無駄だったかも。これ以上は不愉快になるので、言いたくないけど。
話をそろそろまとめるけど、オレがしょっちゅう言っている「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」は、ツイッターだけじゃなく現実でも行われていて、それは今の日本では「変に右翼的な人」の勝利に終わったのかも知れない。だとしたら、こんな悲しい事はない。トホホ。これからは「変に右翼的な人」の一部にならないよう、各自がゲリラ戦めいた事をしなけりゃならないのかも。オレは戦い抜けるのだろうか? 分からんが、やるしかない。
あねさも、おらさも、だっちょでだっちょで、ヨイヨイヨイヨイ。……じゃなくて、なんか気持ちがどんよりとして来てなあ。それに耐えきれず、つい。あと、何を言ってもどうにもならない気持ちが強くなって、不安で心がいっぱいだ。しばらく沈黙するつもりだったが、不安をまぎらわすため、こうして書いている。
せめて愚痴を聞いてくれる相手がもっといれば、わざわざブログなんぞに書かなくてもよかったんだが、聞いてくれそうな人は軒並み忙しいようだし。んで、不安の方だが、ひとりでいる事に対する寂しさも起因している。イラスト講習を休んだら、これや……。まだ、特段仲がいい他の生徒がいるわけではないんだが、うちに閉じこもっている時よりは気持ちが落ち着くのだ。余計な事を考えず、絵を描くしかないし。
しかし今、「ひとりでいる事に対する寂しさ」だけでなく、暗い過去のフラッシュバックもキツい。親父が生前オレに放った罵声や勤め先で受けたパワハラ、そう言ったものが蘇って来て辛い。「オレは結局、何をやってもダメなのかなあ……?」と言う気持ちまで蘇る、頭も痛い。気晴らしがほとんどないから、こうしてブログで愚痴るしかない。
とか書いていたら、気が落ち着いて来た。「ひとりでいる事に対する寂しさ」はあるが、それでも精神状態は書きはじめの頃よりマシだ。さーて、もうちょっと休むとしますかね。
広島市内でのイラスト講習や、『へたっぴさんのためのお絵描き入門』から、絵を焦って描いてはダメだと46歳にしてやっと分かったが、何度も言ったようにオレの10代は家族や宗教*1からの苛烈な要求に振り回され、絵を描く時間を短くせねばならなかった。だから焦って描いてしまってたのよ! また、手順を「行きつ戻りつ」して絵を描くのも、前述の理由と性格上、上手くいかないのよ! 10代の頃同じポーズを何回も練習しようものなら、親父に「いつまで同じ絵を描いとるんな!」と怒鳴られたろうし。
……と、書いていて、いくら言っても同じ事ではないかと言う気がして来た。家族や宗教への恨みを書いていても、絵が上手くなったり、ましてや暗い過去がなかった事になったりはしないし。それ以外の事もいくら言っても、今のままではどうにもならい。ならばしばらく何も語りたくない、来週からまたイラスト講習に忙しくなるだろうし。てなわけでしばらくまた、このブログ沈黙する。やらにゃならん事も山積みだしな……。
あと、pixivどうしよう? 前にも言ったけどイラスト講習を受けてから、講師に言われた以外の事を勝手にするのが怖くなってなあ。他のイラスト講習の生徒は、わりと気楽に自分の絵を描いているように見えるのに、なぜだ。今からあまり気を張りすぎても、途中でバテたりだれたりした時が怖い。自分の描いた下絵をクリーンアップするため、9枚くらい描いたら講師が「9枚!?」と驚いていたしなあ。今が人生で一番、絵に取り組んでいる時期なんだろうな。正直、10代や20代の頃より真剣に描いているような。せめて10代の時に宗教に引っかかるより早く、絵を描いていたなら。いやいや、絵を描き出したあと宗教に引っかかって、筆を折った可能性だってあるじゃないか。そうならなくてよかった。と言うか、家族にこき使われて染み付いた奴隷根性が、宗教を受け入れる下地だったのかも。
*1:念のため言っておくが、「家族と宗教」ではない。それぞれが別々に負担になっていたんだ!
「愛の反対は無関心」と言う言葉がある、「本当に怖いのは悪人の悪意ではなく、善人の無関心」とも言う。これらの言葉から連想したのだが、ネット上の誹謗中傷や世にあふれる冷笑には、悪意から来るものだけでなく、「無関心でいたい」とか「その話と無関係でありたい」と言う願望が含まれているものも少なくないのでは。もしそうだとしたら、単純な悪意や無知から来る悪罵より、ずっと空疎で恐ろしいものなんだ。悪意ならば最悪ぶん殴るのも効果あるかも知れない*1し、無知ならば教育の余地もあるんだが、「無関心でいたい、無関係でありたい」と言う願望は矯正*2するのがずっと難しい気がして……。この立論にしても、穴がありまくり*3だが、「無関心でいたい、無関係でありたい」と言う願望から来る悪罵や冷笑と見れば説明がつく言葉や態度*4も少なくないと気づいたもので、言いたくなったのよ。
これを書いている時点では統一地方選の最中だが、選挙に対する冷笑や「軍事政権だっていいじゃない」と言う態度もまた、政治から「無関心でいたい、無関係でありたい」と言う願望のあらわれではなかろうか? 世間の連中は、そんなに自分の事を自分で決定するのがいやなのかねえ……? この話、自分の中でまだ上手く咀嚼しきれてないところがあるため、正直立論に自信はない。だが、なんか気になったところを書き留めておく。
人様を、「表現の自由戦士」呼ばわりする連中に言いたい。
ネットで痰唾吐く暇があるなら、もういっそのこと「表現の自由戦士」を殺して回ったらどうです!
ネットと言う安全圏で中傷している連中の多くは、自分で手を汚す事はいやで、誰かが代わりに自分のいやなものをなくしてくれんかなと思っている。嘆かわしい! ……これは、「表現の自由戦士」と言われている側にも当てはまるんだが。オレはもう疲れた、なんなら殺しに来い、お前ら。
殺せのなんのと、ツイッターで言うと酷い目に遭いそうだからこのブログで言うけど、正直「表現の自由戦士」を誹謗する側にはテロでもやってもらった方があきらめがつく。そうなると「自分の好みの価値観を、世の中の中央に据えようとする殲滅戦」がツイッターだけでなくリアルに波及し収拾はつかなくなるが、今までが今までだからたいして違いはないようにも。
それにしても、表現規制に限らず世の理不尽に立ち向かう者は、世間のあほからの誹謗中傷にさらされるなあ。マー、誹謗中傷している者は、「無関心でいたい」とか「その話と無関係でありたい」とか言う感情からやっているのかも。その辺は話があさっての方向に行くので別の機会にするけど、あまりいい感情じゃないねと言っておく。
ドラえもんのひみつ道具に、「通心はん売のカタログ」と言うのがある。「欲しい」と言っただけでその品物が送りつけられ、返品もクーリングオフも効かないシロモノだ。「欲しい」と思ってから実際に買うまでには内心の葛藤があり、人はどうしようか迷いながら「買(こ)うたやめた音頭」を踊るものなんじゃないのか。最近のネットの世界も、「通心はん売のカタログ」と似たようなものになって来た。ネットショッピングの話ではない、ツイッターだよツイッター! 児童への性的搾取に対する規約やら、他者への攻撃とみなされるツイートをした者に対する凍結やら。それらは確かに社会通念上よからぬ事だが、言ったあと「やっぱりやめた」と思い直す暇すら与えんのかツイッターは。ツイッターに限らず、SNSはどこも似たようなものかも知れないが。
前にも言ったかも知れないけど、なんか東西南北前後右左、内心の自由を認めない世界を目指しているようで辛い。「魔が刺しておかしな事を言う」事を、最初から認めてないと言うか。実際に他者を傷つける行為は論外だが、やり直しの機会すら与えられないのは……。と、書いて放置していたら、小田嶋隆氏がこんなツイートを。
「そう思って何が悪いの?」
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年4月2日
と思う気持はわかる。
人間が何かを思うこと自体は自由だし、他人が制限できるものではない。
ただ、単に思うことと、思ったことを口に出すことは別のことだ。何かや誰かへの好悪の感情をそのまま外に向かって表現することは、場合によっては暴力になる。
それがあるから、オレもこの話どう落とそうか悩んでいたんだよねー。ただ、実際に思った事を実行に移すまでの逡巡みたいなものが、態度に現れる事もあるので難しい。そうでなくても今の世の中、気に入らない奴が失言しないか、虎視眈々と狙っている暇人多いからねえ。
さらに思い出したが、相模原の障害者殺傷事件から間無しに、「犯罪をほのめかした者にGPSを埋め込め」と言う発言が誰かから出てた。大きな事件にかこつけて、こんな事言う輩の方がよっぽど危険なんじゃないのか。考えを変えたり、失言を謝ったり出来ない世の中になって、ホントにいいんだろうか?