走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

無関心でいたい、無関係でありたい

 「愛の反対は無関心」と言う言葉がある、「本当に怖いのは悪人の悪意ではなく、善人の無関心」とも言う。これらの言葉から連想したのだが、ネット上の誹謗中傷や世にあふれる冷笑には、悪意から来るものだけでなく、「無関心でいたい」とか「その話と無関係でありたい」と言う願望が含まれているものも少なくないのでは。もしそうだとしたら、単純な悪意や無知から来る悪罵より、ずっと空疎で恐ろしいものなんだ。悪意ならば最悪ぶん殴るのも効果あるかも知れない*1し、無知ならば教育の余地もあるんだが、「無関心でいたい、無関係でありたい」と言う願望は矯正*2するのがずっと難しい気がして……。この立論にしても、穴がありまくり*3だが、「無関心でいたい、無関係でありたい」と言う願望から来る悪罵や冷笑と見れば説明がつく言葉や態度*4も少なくないと気づいたもので、言いたくなったのよ。

 これを書いている時点では統一地方選の最中だが、選挙に対する冷笑や「軍事政権だっていいじゃない」と言う態度もまた、政治から「無関心でいたい、無関係でありたい」と言う願望のあらわれではなかろうか? 世間の連中は、そんなに自分の事を自分で決定するのがいやなのかねえ……? この話、自分の中でまだ上手く咀嚼しきれてないところがあるため、正直立論に自信はない。だが、なんか気になったところを書き留めておく。

*1:マー、悪手中の悪手ではあろうが。

*2:と言っていいかどうか分からんが、今この言葉しか思い浮かばん。

*3:例えばなんで、最初に述べた言葉から連想したのか説明がつかないし。

*4:例えば、大日本帝国の戦争責任に対する拒否反応とか。