走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

続・無関心でいたい、無関係でありたい

 立川志らくツイッターで、山本弘氏の小説の一節を挙げて、「正義」を疑うように誘導していた。そのツイートはいいねしてないから引用は出来ないが、あえて言う。オレは「正義の暴走」なんかより、それを自分が何もしない口実にしている奴の方がいやだ。下に貼った絵でも言及したけど。また、「正義の暴走」を自分が何もしない口実に使う心理には、前に下記の記事で書いたように、物事に対し「無関心でいたい」とか「無関係でありたい」と言う類いのそれが働いているのだろうと、今は思う。と言うか、まだ仮説の域を出てないけど、今回はそれをもとに話を進める事にする。

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a-katu.hatenablog.com

 人間、人生もひとりが持つリソースみたいなものも限られているから、なんでもかんでもやるわけにはいかない。しかしながら、「無関心でいたい」「無関係でありたい」と言う気持ちから、他人の行動を冷笑するのはまずいんじゃないか? と思う。以前、勝共連合街宣車が、「権利を主張する者の言うとおりにしていたら、予算がいくらあっても足りない」と言った事があるが、これは人の「無関心でいたい」「無関係でありたい」と言う心理を突いたいやらしい言説である。「予算がいくらあっても足りないんなら、なんにもしなくていい」とか、「権利を主張する者を守りたい奴だけで勝手にやれ、おれは知らん」とかに繋げやすいからな。前にも書いたけど、今のネットの誹謗中傷が「無関心でいたい」「無関係でありたい」と言う文字通りの「心無い」*1言葉なら、これほど恐ろしいものはない。『ぼのぼの』のヒグマの大将ではないが、単なる悪意の方が対処が楽だ。法的措置で矯正も出来るかも知れないが、オレの予測が正しかったら対応を考えないと。とは言え、何も思いつかないが。

 「無関心でいたい」「無関係でありたい」と言う心理は、現状を変えたくないとか変わらないとか言う気持ちのあらわれであって、それは強い感情に動かされておらず、「忖度」で人生を乗り切ろうと言う情けない動機だ。それが群体と化し、ソルジャーレギオンのように世の中を蹂躙している……。最初に述べた志らくのような奴や、勝共連合街宣車みたなのがそれを煽って。マー、街宣車の演説は、あの時オレ以外誰も聞き耳立ててなかった*2けど。それだけ「無関心でいたい」「無関係でありたい」と言うのが蔓延しているのか? 嗚呼。

 どうにもまとまらない記事になったけど、単純な悪意より空疎なモチベーションで、ネットで誹謗中傷が行われている気がしてなあ。正直、怖いよ!

*1:要は感情に動かされていない!

*2:ように見えた。