走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

なんぼお釈迦さんが偉い言うたかて、あの人地球が丸い事を知らんかったんやからね

 題名はパペポTVで、上岡龍太郎が言ってた事だ。なんでそんな話をするのかと言うと、例によって「愛したい、愛されたい」と言う気持ちと折り合いをつけるには、どうすればいいか考えていたら「やっぱり、悟りを開く前のお釈迦様みたいな暮らししかないんかな?」と思ったあと、上岡の言葉が頭をよぎって。また、上岡は別の番組で僧侶だか宗教家だかに向かって、悟りの喜びか宗教的な法悦を「それは現代では、たとえばマラソンを完走したとかで、簡単に手に入るんです」と言った事も。オレ個人としては膝が悪いからマラソンは無理だが、絵を描いてる時に法悦みたいなものを手に入れているのかも知れない。ならば、こっちを大切にした方がいいんじゃなかろうか? と、思うように。

 ところで、オレが「愛したい、愛されたい」願望を二次元に求めるのに躊躇するのは、二次元が裏切らんにしても自分は二次元を裏切れるからだ。それを思うと……。と、書いたあと、オレは「愛したい、愛されたい」願望に限らず、自分の願望や欲求を憎んでいるフシはないかと思うように。それは今日までの人生の前半における、嫌な事が関係しているのだが……。家族の顔色をうかがってすごしたり、宗教に引っかかったり……。それらによって、前述の「自分の願望や欲求を憎んでいる」ようになったと言うか。しかし、それじゃ人生がつまらん。自分の願望や欲求を憎むのはやめよう、それらが満たされるかどうかは別として。最初から述べている「愛したい、愛されたい」願望は相手のある事だから、満たすにはハードルが高いけど。「愛したい、愛されたい」願望を絵に込めて、描くと言う事は出来るかも知れないが。

 それにしても、男女の仲として愛される事を知らずに生きて来た。もうどうしようもないかも知れんと言う気持ちが、こんな記事を書かせるに至ったんだけど、さみしい。