こんなツイートを見つけた。
高校生の時、本気でオウム真理教に入ろうと思っていた。テレビで「親がどんなに頑張っても入信した子供を取り返せない」と聞いて、オウムに入れば毒親から逃げられると思ったから。その後一人暮らしできる可能性が出てきて入信は辞めたけど、同じ思いで実際にカルトに入信しちゃった人いると思う。
— 300〜400日後に死ぬヒト (@TE5DLim7OFceYY7) 2021年5月11日
……この人のこの思いを、全否定は出来ん。オレもオウム真理教じゃないけど、家族への失望などから性質の悪い宗教に引っかかった事があったもんな。その時の苦悩は詳述しないが、宗教なら家族よりましだと思ったのが間違いだったと言っておく。そんなこんなで「全否定は出来ん」と。こう言うのって「悪事に加担しちゃいけません」と言う「きわめて、あったりまえの話」をしても、どうにもならんところもあるし。だが、こうも言える。題名に書いた「ひとりで考えても、ロクな結果にはならん!」ってやつだ。むかしのオレは周囲にマトモな相談相手がおらんかったし、おそらく上記ツイートのツイ主もそうだったんだろう。そう言う者をすなどるのが上手いのが宗教やカルト集団なんだから、話は深刻ではある。オレが宗教に引っかかった頃やオウム真理教が問題になってた頃は、それこそ毒親なんて問題に真剣に取り組む者は今よりずっと少なかったはずだし。多くて、社会的に力が強ければ、カルトの出る幕もなし。今だって、潤沢にいるわけじゃないもんな……。
とまで書いて、オレが引っかかった宗教のネタは、そろそろ言及したくないとおもうように。と言うのも、pixivでその教団絡みのエッセイマンガのサムネイルを見ていて、ぞっとしたからだ。それでもう出来るだけ触れない方が、オレのためな気がして。と言うわけで、話を「ひとりで考えても、ロクな結果にはならん!」にシフトする。日本の社会は、決まりきった型の家族像・人間像に合わない者にはめっちゃ冷たい。だから相談相手もおらず、ひとりで苦しむ者も多いんだと、オレは思う。そのため思考の隘路に陥り、間違った選択をしてしまう者も後を絶たない。オレも含めて。だからオレは、最初に引用したツイートの主を、全否定も責める事も出来んと。オレも人生が抜き差しならない事になってたかも知れんからなあ……。だけど「絵を通して社会と繋がりたい」と言う願望など、いろいろな物や外因などによって、どうにかシャバに返り咲いたけどな。そのシャバ自体がカルト臭くなってると言う、より大きな問題はあるけども。嗚呼。オレを宗教からシャバに引き戻した「絵を通して社会と繋がりたい」と言う大きな願望は、その後もオレを支えている。と言うか、なんでもっと早く「絵を通して社会と繋がりたい」と言う願望に忠実にならなかった、オレ。いや、そこら辺を今さらぐずぐず言っても、引っかかった宗教にいちいち言及するくらい消耗する気が。いろんな意味で、そろそろ乗り越えんと……。と言うわけで、話を「日本の社会は、決まりきった型の家族像・人間像に合わない者にはめっちゃ冷たい」事に戻す。あなた方も、それは薄々気づいているんじゃありませんか? 日本会議的な、家族像の押し付けなどで。いや、家族像の押し付けをする者だけじゃない。オレ自身もまた、決まりきった型の家族像・人間像に合わない自分に冷酷だったのではと、最近は思う……。だからと言って、今どうこう出来るものじゃないけど。