走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

オレも引きこもり同然だったし



 これを受けて書いたオレのツイート。

 なんで引きこもりを、「勝ち目のない籠城戦」だと思ったのかと言うと、籠城戦は味方が外から来てくれなければ、消耗しておしまいだし。籠城戦になると、敵の方が有利な事多いよ。それ以前に、引きこもりを籠城戦にたとえたのが間違いだったのかも知れないと、上記3ツイートには思わされた。オレも中学は行ってたけど、その頃家庭以外との接点はほとんどない状態だったから、引きこもり同然と言えなくもない。中学卒業して、社会からつまはじきにされたような感覚を持ってからは、なおさらだ。その後いろいろあって、現在社会復帰への訓練みたいな事をしているけど、小山氏の言うような視点も気になる。だが、よくよく考えてみたら、小山氏の言ってる事だって「黙って死ね」にすり替えられかねない危険はあるんだよな。一番最初のツイートで提示された疑問には一理あるけど、ねえ。

 話をオレの事に戻すけど、かろうじて社会との接点としてオタク趣味があったので、オレは完全に社会と断絶せず生きられたのかも知れない。完全に社会と断絶して、家族の言いなりになり続けるか、宗教に引っかかったまま青春を全て失うかせずに済んでホントよかった。しかしなー、自分がどうしたらいいか、どうしたいのか分からない時期に相談出来る相手がいたなら、オレはもっと苦しまずに人生送れたかも知れん。「たられば」にしかすぎないけど、その後悔は付きまとう。前述のとおり、家族以外の他者との接点がほとんどない暮らしだったし、中学卒業して、社会から断絶した状態になったりしたけど。……書けば書くほど、自分がみじめになって来るわ。引きこもりが「勝ち目のない籠城戦」だと考えるのは間違いではないかと言う話から、どんどん遠ざかって行くし。小山氏のツイートを引用するのも、最初の奴だけにしとけばよかったかな。

 と言うかさあ、この文章書いていたら、31年前に死んでいればよかったんじゃないかって、またまたまたまた思っちまったのよ! 家族からの縛りや狭い家庭から抜け出そうとして、宗教に走ってしまったり、やる事があんまりすぎたので。今はだいぶマシな人生と言えそうだけど、巧妙に家族に縛られていた時期を思うと辛くて辛くて。死んでいたら今こうしていられないのも事実なんだが、オレを嘲笑している有象無象の笑い声が脳裏に響いて……。