社会資源にフリーライドするuberやairbnbなどのギグエコノミー、射幸心を煽り報酬系を破壊することで収益を上げるソーシャルゲーム、スタートアップ(起業)とは本当に人間の厚生に資する営為なのだろうか?とすごく最近疑問に思っている。
— 小山晃弘 (@wakari_te) 2019年10月14日
そんな悩みの中読んだこの記事。緩慢な自死を選んだひきこもりの息子と向き合った家族が「引きこもりというのは、欲望の肥大化を否定する積極的な行為ではないか」と振り返る。ひきこもりとは本当に「消極的」な営為なのだろうか。積極的な異議申し立てなのではないか。https://t.co/42h6Jv5p2B
— 小山晃弘 (@wakari_te) 2019年10月14日
メンタルヘルス業界は、どうしても社会適応を推奨しなければならない側面がある。しかし本当にそれだけで良いのか。オルタナティブな価値観を提示するような営為も我々の文明には必要なのではないのか。
— 小山晃弘 (@wakari_te) 2019年10月14日
これを受けて書いたオレのツイート。
オレは引きこもりを、「勝ち目のない籠城戦」だと思っていたところがあったが、そもそもなんに勝つのよと言う視点も必要だったのかな?>RT×3
— 克森淳 (@a_katu) 2019年10月15日
なんで引きこもりを、「勝ち目のない籠城戦」だと思ったのかと言うと、籠城戦は味方が外から来てくれなければ、消耗しておしまいだし。籠城戦になると、敵の方が有利な事多いよ。それ以前に、引きこもりを籠城戦にたとえたのが間違いだったのかも知れないと、上記3ツイートには思わされた。オレも中学は行ってたけど、その頃家庭以外との接点はほとんどない状態だったから、引きこもり同然と言えなくもない。中学卒業して、社会からつまはじきにされたような感覚を持ってからは、なおさらだ。その後いろいろあって、現在社会復帰への訓練みたいな事をしているけど、小山氏の言うような視点も気になる。だが、よくよく考えてみたら、小山氏の言ってる事だって「黙って死ね」にすり替えられかねない危険はあるんだよな。一番最初のツイートで提示された疑問には一理あるけど、ねえ。
話をオレの事に戻すけど、かろうじて社会との接点としてオタク趣味があったので、オレは完全に社会と断絶せず生きられたのかも知れない。完全に社会と断絶して、家族の言いなりになり続けるか、宗教に引っかかったまま青春を全て失うかせずに済んでホントよかった。しかしなー、自分がどうしたらいいか、どうしたいのか分からない時期に相談出来る相手がいたなら、オレはもっと苦しまずに人生送れたかも知れん。「たられば」にしかすぎないけど、その後悔は付きまとう。前述のとおり、家族以外の他者との接点がほとんどない暮らしだったし、中学卒業して、社会から断絶した状態になったりしたけど。……書けば書くほど、自分がみじめになって来るわ。引きこもりが「勝ち目のない籠城戦」だと考えるのは間違いではないかと言う話から、どんどん遠ざかって行くし。小山氏のツイートを引用するのも、最初の奴だけにしとけばよかったかな。
と言うかさあ、この文章書いていたら、31年前に死んでいればよかったんじゃないかって、またまたまたまた思っちまったのよ! 家族からの縛りや狭い家庭から抜け出そうとして、宗教に走ってしまったり、やる事があんまりすぎたので。今はだいぶマシな人生と言えそうだけど、巧妙に家族に縛られていた時期を思うと辛くて辛くて。死んでいたら今こうしていられないのも事実なんだが、オレを嘲笑している有象無象の笑い声が脳裏に響いて……。