走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

のけもののためのおとぎ話

 「のけもののためのおとぎ話って、なによ」とツッコミが入りそうだが、のけものにされた者を慰撫する物語と言うか……。だから上手く言えないと上記ツイートで。あと、世の中が一度のけものにされた者を社会的に殺したがったりする傾向とかも気になる。

 話を「のけもののためのおとぎ話」に戻そう、そう言うのになるとティム・バートンが思い浮かぶ。ティム・バートンと言えばバットマンだが、最近はバットマンの入り込む余地のないジョーカーを描いた映画が出来たじゃない? 確かにアメコミのヴィランは社会や人間の暗部の戯画化でもあるが、そっちばかりが肥大化しては、フィクションが暴力たりうるのではないかと。

 オレが折に触れ、かつてのゲーム誌の読者欄のイラストに慰められたと言っていたのは、そこに「のけもののためのおとぎ話」があったからかも知れない。最近のフィクションからは、急速に消えて行ってる気もするけど。オレも「のけもののためのおとぎ話」を作りたいが、まだ力が足りないような。力をつける前に、客観的な状況が抜き差しならない事になるかも知れんし。でもやりますけどね。

 ところで、この話はオレがこれまた折に触れて持ち出す「仲間意識が仲間はずれを作り出す」と言う言葉とも関わって来る。と言うのも、のけものが出ると言う事は、先に仲間意識などでの集まりがあると言う事だ。オレはなかなかその集まりに食い込めなかったからなあ、のけものにされっぱなしな感じが強くて。悩んでいても仕方ないから、オレがのけもの……つまりオレ自身のためのおとぎ話を作るしかねえや。見てろよ。