走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

学校と言うブラックボックス

a-katu.hatenablog.com

 上記記事の続きみたいな話。上記記事コメント欄で、オレは「学校のブラックボックス化」の危険性について少し言及した。学校が地域・社会のブラックボックスである故の怖さは(フィクションではあるが)和田慎二スケバン刑事』や、あさりよしとお『ただいま寄生中』などでも描かれているくらいだから、オレの言った事は「車輪の再発明」かも知れないが話を続けよう。学校がブラックボックスだからと言って、性急に学校をオープンにせよとも言えない。現状に加えて外部からトンデモやカルトがねじ込んで来たら、目も当てられないじゃないか。あと、上記記事コメント欄で負次郎氏が”「ガキ社会に潰されるくらいなら子供を離脱させる」覚悟の親御さんもぽつぽつ散見される“と言ったのに対し「それはいい事です」と返事したあと、YouTuberの「ゆたぼん」の事を思い出した。彼も学校から離脱したあと、周囲の大人に利用されてるみたいで辛い。学校の外の社会も善人ばかりではない以上、難しいところはどこまでもあるんだろうな。あきらめきると、トンデモやカルト、そして悪人の思う壺だけど。

 オレは人の親でも子どもを指導する立場でもないから、どうしても子ども時代の経験則やマスコミ・ネットの話がソースになってしまう。だから説得力がどこまであるかは、我ながら心もとない。オレは「学校内のガキ社会」で苦しむ側だったけど、もしそこに適応出来て、おいしい思いが出来ていたら……。ぞっとする話だ。それはそれとして、負次郎氏から言われた事からもうひとつ。彼に“無分別で他人の人権も自分の人権もオツムに無いようなローティーンにも等しく「自己決定権」を与えるかどうか“と言われて思ったけど、そう言う子どもに「世の中善人ばかりじゃない、自衛せよ」と言うのも酷っちゃあ酷な話だよな。子どもに分別を付けさせるために家庭や学校や社会が機能せんとどうにもならないが、今まで書いたように世の中善人ばかりでもないし……。この辺にも、一発で解決する「銀の弾丸」はないんだとしても、社会はオレみたいな人の親にも保護者にもなれそうにない者にまで悩ませんで欲しい*1わい。オレとしては、もうちょっと気楽な話題を話したいんだし。それとも、オレが人間の良心や知恵と言うものを信じすぎているんかな? 負次郎さんとのやり取りで、そう思った。

*1:この先、連れ子のいるパートナーが出来ないとは言えないけど、可能性はないと言った方が早いくらい低い。