走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

『新ペンだこパラダイス』への、今のところの感想

 オレは「サヨクキチガイ」だから、最近しんぶん赤旗日曜版を取ってる事は前にも話した。ただ、紙面に北原みのりや小川たまかが出てくるのは読んでて辛いな。マー、それでも『新ペンだこパラダイス』は読めるんだけどね……と思っていたら、そっちも昭和40年代前半の「マンガを読む事も、ましてや描く事も歓迎されない」風潮の描写がきつくなって来た。主人公が『COM』を買おうとした時に出会った青年の家に行ったら、青年の父親から怒りを交えて「あいつは家出した!」と告げられるところで、赤旗日曜版の8月29日付号での新ペンだこパラダイスは次回に続く形であって。なんて言うのか、その青年もまた家族にマンガ家になる事を家族に反対されていた(と思わせる)事などが、いちいちオレの過去の失敗を思い出されて辛い。むかしと今では時代が違うとは言え、かつてオレが何にも行動出来てなかったのが恥ずかしくて。何にもと言うのも、過去のオレを責めすぎな気がするが、早いうちに家族との訣別が出来んかったと言うのは結構こたえているので。マー、実は別件で家出を考えた事もあるが「もし仮に家出したあと連れ戻されたら、もっと酷い目に遭ってそのあと何が待ち受けているか……」と恐ろしくなって、断念したのだけど。家出せんでも作品は描けよ、むかしのオレ。だからそう言う事書くから、自分を追い込むんですよ。話を戻そう。新ペンだこパラダイスがきついのは、主人公がなかなか作品を描かないのもある。「逆境に打ちのめされて、なお立ち上がる主人公」と言うのはマンガの王道とは言え、今のところ逆境続きでは。思春期前半の少年の葛藤と言うのも、オレにはこたえる……。「じゃあ、読まなきゃいいじゃん」と言うな、なんのかんのと先の展開が気になるのだ。それに、オレがきつく感じているのは、作中の描写を勝手に自分に引き寄せているからなんだし。そう言うのを「感情移入」と言うのかも知れんが、オレの場合は家族がフィクションに感情移入するのを嫌っていたため、それが起きた時に認知的不協和がね。「家族は家族、あんたはあんたやんけ」だって? そう、新ペンだこパラダイスが随所で「家族との訣別」も匂わせてるので、前述のように上手く家族との訣別が出来んかったオレ自身はどうなんだと。

 それにしても、こうまでマンガに感情移入してるのも、久しぶりだ。「マンガ家志望者を描いたマンガ」が、特に近年オレに刺さるようになったとは言え。最近、距離的な意味で身近な範囲で絵やマンガを描く方面の話が出来る相手に恵まれるようになったからねえ。なんでそれで刺さるのかと言うと、描く事をあきらめないで済みそうってのが。自分の中で完全に「むかしの話だ……」と、ならなくなったからと言ってもいい。だからいろいろ刺さるのよ、わかんねえかなあ……。と、書いていて、オレが近年マンガを読むのが辛かったのは、フィクションに感情移入するのが怖かったせいかも知れんと思った。その理由はいろいろあろうが、フィクションやそれを作る者への不信みたいなものが大きいとしか。そこは簡単には説明出来ない、それだけでブログ記事一本になりそうなんで。強いて言えば、ネットでオレが気に入らない作品が持ち上げられているうちに、いろいろ嫌気がさしたのが大きそうだけど。一時は嫌いな作品・作家の本を目にしたくなくて、本屋の棚もよう見んかったしなあ。身勝手極まる話だが、オレがマトモにフィクションを構築出来なかったのもあって、いじけていたのは否定出来ん。それを是正出来たのもいろんな要因があるんだが、最大のそれはサブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)に通っている事か。おかげでセルフネグレクトを改善させ、広い世界に飛び出すきっかけを与えたんだからな。サブカルBCに通ってなかったら、ネットだけにこり固まってないで現実……と言うか実際に足を運んで行ける範囲……を見てやろうと言う気にもなれず、赤旗日曜版も取らんかったかも知れないわけで。そしたら新ペンだこパラダイスも読んでおらず、この記事も書いてない……。しかしコロナウイルスのせいで、実際に足を運んで行ける範囲は確実に狭くなってるのに、オレの気持ちはネットから解放され出しているってのは皮肉な。と言うのをオチにして、この記事終わる。