走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

駄作を作る勇気

 題名は島本和彦の『吼えろペン』シリーズで言われていた言葉のウケウリだが、オレにはずっとそれが欠けていた。なぜ駄作でもマンガを作り、それを世に出す事を恐れていたんだオレは。たぶん家族がオレの言葉を隠そうとして来やがった事と関係しているが、それは詳しく言いますまい。とは言え、駄作を作る勇気は「恥を晒す勇気」とセットになってる気がするが、家族がオレの言動を恥と思っていたからそこが涵養出来んかったかもとだけは言っておく。話を戻して、駄作を作る勇気ですよ。オレはそれが欠けていたから、とにかく作ってみようと言う気概を持てなかった。それで作品がほとんど出来なかったんだから、お笑い草である。それでも20代の頃は、まだ作品を描こうとしていた。しかし、30代になって精神科に通うようになり、それからマンガ描きがほとんど出来んかった。「締め切りが、あると描けない。ないと描かない」とあさりよしとおは言ったが、オレの場合まさにそれだ。同人誌を作ったり、寄稿していたころはまだしも、それらも出来なくなってから、40代後半までほとんど描かなくなったんだよ。ネームだけでどうにもならなくなったのも多かったし。駄作を作る勇気が後押しせず「これでは描かない方がいい」と言うクソ打算が先に立って……と、書いていて思ったが、駄作を作る勇気もだけど、精神の薬が創作に悪影響を与えていた可能性だってある。しかし飲まねば入院、難しいところだ。今は精神の薬を飲みつつも創作が出来てるから、薬だけじゃなく、駄作を作る勇気に欠けていたのが大きいようにも思えてこんな記事を。

 そうでなくても30代は結構波乱万丈で、冷静に考えれば創作どころじゃなかったかも知れない。いちいち思い出す気になれないから、詳しくは説明しないけどな。それはいいとして、オレはこれからどうしよう? サブカルビジネスセンター(以下、SBC)に入って、いろいろやってはいるんだけど、なんか最近不安になって。その辺は後日機会をあらためて書くつもりだが、ちょっといろいろあって……。自作の原稿が溜まって来て、キャパオーバーしかけてるとかな。それはこの記事の本題たる駄作を作る勇気と関係ないような、あるような。たとえば、これはこうしなければと言ういらん考えが、筆を止めてるところもあるからのー。マー、身体が動く限りは創作したいけどね……。そのためにも、駄作を作る勇気がいるんでしょうけど。