走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

自分のしたかった事が出来なかった時期を思い出して、辛い

 題名の「自分のしたかった事が出来なかった時期」はいくつかに分けられるが、無理に言うとその中の1999年頃か……。あの頃はきつかった、絵やマンガを描く気力は無くなり、さりとて就職したいとも思えず、辛いバイトで自分を見失って、とどめに家族に罵倒されまくり。嗚呼。翌年どうにか転職に成功し、その後長い目で見ればいろいろ好転したけど、1999年の事は出来るだけ思い出したくない。なのに思い出したのかと言われそうだけど、人間100%理屈で動いてるわけじゃないし。

 思い出に溺れ、泣いて暮らせる状況じゃねえけど、絵やマンガをあきらめそうになった1999年は、オレの中に恐怖の大王が降りてたのかも知れんと言いたい。お若い方は「恐怖の大王って、なによ」と思うかも知れんけど、そんな若者がこのブログを閲覧してるとも思えず……。なので説明抜きで話を進めよう。1999年以前に勤め先で殺されかかったり、そこを辞めたあと簿記系の職業訓練を受けた*1はいいが、日商簿記も取れなかったりして「オレは結局、何をやってもダメなのかなあ……?」と萎縮したばっかりに、バイトはおろか絵やマンガを描く事まで辛くなっていたのだ。当時のオレに言ってやりたい。仮に絵やマンガをあきらめても家族にこき使われるのは変わらんし、罵倒されるのも止まんだろうと。それならむしろ、気晴らしは多い方がいいんじゃないかと。マー、翌2000年に、以前買った同人誌を読み返し「やっぱり絵やマンガを描きたい! そのためには、足元を固めねば……」と奮起して職探しはじめたんだけどね。「自分のしたかった事が出来なかった」のは、結局家族からの罵声に萎縮して、生き方が迷走したからじゃねえかと、書いてて思った。だから事あるごとにそこを思い出して泣く破目になるんだが。親父に「趣味なんてのは、一人前に稼げてはじめてやれるものだ」と言われたのが、当時はすっげえこたえて。「稼ごうにも、就職先も、手に職もないじゃねえかオレは……」と思っちまってねえ。あと、親父に常識一切は通用しなかったから、迂闊に反論も出来んかったし。罵倒する方は気持ちいいかも知れんが、される方はいい迷惑だっ! このっ! 「いいのです、全ては過ぎた事です。過去の事です……」と流せるほど、オレは楽天家ではないし。

 あの頃の事は、いまだに尾を引いている。今以上に「絵やマンガを描く事」に理解ある相手が周囲におらず、バイトなどが忙しくてそれまでの友人知人に同人イベントで顔を合わせるのも出来なくなり、孤立を深めていたんだ。繰り言になるが、あの頃「絵やマンガを描く事」で繋がってる相手がちゃんといれば、考え方も変わっていたろうに……。逆に言えば、当時の苦しさ・悲しさが、逆に「絵やマンガを描く事」への渇仰を強め、今も描いている原動力になっていたのかも知れん。くっそー、知れんが知れん知れん。う~ん、尻痛いよ~。尻痛いよ~……言ってる場合か。あるいはオレに、もっと絵やマンガを描く力があれば、オレの人生の(家族から受ける)苦しみも半減していたのかも知れんとも言えるが、それはまた大きな「たられば」だなあとも。「今描けるなら、いいんじゃないの」と言う問題でもなくて、題名にも書いた「自分のしたかった事が出来なかった時期」を、どう納得すればいいのかと言う事であって。納得なんか出来ない事も、人生にはついて回るとも言えるけど、100%納得出来んでも、ある程度折り合い付けんと思い出した時苦しいだけだ。実際、今とても苦しいし。

 とか書いていたら、1999年もきつかったけど、2001年前半も苦しかったと思い出したが、今その頃の事まで書く気にはなれない……。泣くどころか、号泣したくなって来たな。こんな精神状態で、書き物と言うわけにも。と言う事で、この記事終わりだ。

*1:その時やってたのが、それしかなかった……。