走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

急に悲しくなって来た

 なんかこう、急に悲しくなって、趣味の絵描きも手につかん。ぷおおん……。何が悲しいのかって? 分からん。無理に言えば大小理由になりそうな話を述べられそうだが、どれも決定的な理由にはならん気がして。

 しかし、悲しみから趣味の絵描きが手につかんのは、大問題だ。と言うのも、明後日までサブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)が盆休みなのよ。サブカルBCならマンガの内容*1を添削してもらう事で、よりよくする事も出来るが、趣味の絵やマンガは自分で踏ん切り付けんと、一歩も前に進まんのじゃっ! マー、ぐずぐず言わず「これは自分にとって決して満足いくものではないが、今オレはこれを完成させる」と言う気概で描くしきゃねえ……。悲しくない時なら。今、自分のやってる事が嫌になるくらい悲しいんじゃ。描きかけの自分の絵を見たくないくらい落ち込んでいるって、いったい……。あ。理由が分かった。例によって1997年に勤め先で、そこの社長の弟に殺されかかったのを思い出したからだ。理不尽な暴力のショックで、そのあとしばらく絵やマンガを描く力もなくなっていたくらいだからな。件の社長の弟からは、他にも暴力パワハラ当たり前に受けていたぞ。なんてこった。正直、あの勤め先のせいで、オレは辞めたあとも結構な期間「働く」事への言葉にならない疑問や恐怖が……。それでも転職出来たのは、絵やマンガを描きたいからだったんだが。そこも上手く行かず、8年勤めて精神病の悪化からやめたけども。……書けば書くほど悲しなって来たわ、今はサブカルBCに通えているからまだいいかと思おうとしても、商業マンガ家やれていれば従業員殺そうとするDQNな勤め先に行かんでもよかったんじゃないかと言う「たられば」が出ての。それはキリのない思考だと分かってるから、余計悲しくなったんだよ。くっそー、周りが「描く事」に理解のない環境に長くいたせいで、心がねじれてしまった。某ぬこー様みたいに、酷い目に遭いつつもマンガ描けていればねえ。

 過去に殺されかかった事でこうも落ち込むのは、あの仕打ちが「犯罪行為」を受けたと自覚したり、本来ふるわれる必要のない暴力だと気付いたりもある。「そんな目に遭うしかなかった過去のオレは、どんだけ劣悪な環境にいたんだよ」と言うのと、当時誰にも助けを求められなかった悲しみとで、心が乱れるんじゃ。そんな状態で、可愛い絵や愉快マンガを、スラスラ描けるもんじゃないよ……。だからと言って、オレを殺そうとした相手や嫌いな連中に復讐する術もなく……。あと、オレがふるわれた暴力みたいなのがなければ、企業も社会も成り立たないのなら、そんな企業も社会も全て解体して、みんなで一から出直した方がええわい。ちくしょう。

 勤め先で殺されかかる前年の1996年頃から、精神病の症状みたいなのはあったかも知れんと言うのも、オレの不幸だ。90年代後半まるっと「描く事」が出来る時期じゃなかったのか……。トホホ。90年代前半は、雑誌への投稿や同人誌への寄稿など、少しはやってたけど。書いててどうにか落ち着いて来た、ふう。

*1:ストーリー的なものではなく、絵的な方だ。