走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

オレのマンガ道つやつやぷう編その18

a-katu.hatenablog.com

 この「つやつやぷう編」も、いい加減ネタに困って来た。仕方ない、全20回でこのシリーズを終わらせよう。我ながら、長引きすぎたかと思ってるしねえ。と言うわけで、今回は下記記事に少し書いた「ノートに描く絵の大きさ」の話の続きでも。

a-katu.hatenablog.com

 最近ノートに絵を大きく描いているのは、一枚絵のアイディア出しの側面もあるが、なんでそう言う癖が付いたのか。これは長い間ネットで絵を発表しているから、それが影響しているに違いない。21世紀になるまでは雑誌に送るくらいしか自分の絵を見てもらう機会を得られんかったし、同人誌出しても顧みられなかったし。んで、雑誌への投稿も載らんかった。今にして思えば、ゲーメストファンロードと言ったメジャーどころに送ってたからかも知れない。マイナーなゲーム誌とかエロマンガ誌とか狙えばよかった……。そう思っても、喧嘩過ぎての棒チギレだがな。それに、1996年頃に精神を患った可能性もあるから、そこはどうにもならなかったじゃないの。話が脱線しまくったが「一枚絵を描いて、人に見せる」機会がある事で、そのための準備をする癖が付いたと思うのだ。習慣は意外な形で作られる。

 ネットやる以前には、ゲーセンの交流ノートと言うメディアがオレの絵を発表する場だったが、いかんせんそれにこだわりすぎた。それはゲーセンが置かなければ使いようがないし、90年代後半から急速にしぼんでいたし。その代替案をさっさと見つけていれば、オレは……。これ以上言っても「死んだ子の歳を数える」ようなもんだが、なぜ代替案を見つけるのが遅れたんだろう? ゲーセンで生まれた人間関係に、固執していたせいでしょうなあ……。同人イベントにサークル参加するのも、1998年くらいからだったと記憶しているし。1997年は思い出すのも忌々しい鉄工所勤め*1だったから、同人誌作る余裕もなかったのだ。……書けば書くほど悲しなって来たわ、周囲の無理解や悪意に引っ張られ、ネットやるまで絵を見せる機会に恵まれんかった事が。これ以上そこを詳述しても、繰り言にしかならんけど。

 とにかく「発表出来る場」と「描くものの変化」は、相関関係があると思う。そこは今言うと漠然としすぎて、閲覧者の頭上に「?」が付くだけだろうから、これ以上言えんけど。ああ、もっと早く「描く事」について、いい習慣を身につけたかった……。

(続く)

*1:このブログなどで何度も言ったが、パワハラ受け続けた上に殺されかかりもした!