走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

どうにもならない回り道

 かつて宗教に引っかかっていた頃、ゲーセンのコミュニケーションノートにエロい絵を描く人たちを攻撃して、「イラストを描く人の事、なんだと思ってるの?」とか「イラストを描く人に対し失礼じゃないか」とか言われた事があったのは前にも何度か書いたが、なんで当時繰り返しそんな事をしたのかと言うと、ヤハリ楽しげに描いている皆さんの側に入りたかったんでしょうなあ……。今にして思えば宗教の信者たちは、楽しい事や喜びを与えてくれやせんかったし。結局、宗教から逃れてオタクに返り咲くんだけど、いらん回り道だったなあ。他にも「有害コミック」騒動の頃、同人イベントでその話題になった*1時は、表現規制に反対する意見をとうとうと述べたのに。マー、宗教に引っかかる前は、わりとメディアの影響を疑問視と言うか軽視していたところもあったから、どっちかと言うとそっちが素の自分だったんだろう。ならばもっと早く、絵を描く側に入ればよかったと後悔しきりだが、宗教以前に兄貴と言う障壁があったのを忘れてた。兄貴について詳述する気力は今ないが、ゲーム誌にイラストを投稿する者をバカにしていた奴だとだけ。その関係で殴られた事もあったし、「絵を描くと悪い事が起こる」とオレが思っちまったのは、兄貴の存在も大きかったのでは。何度も言うように、「前後即因果の誤謬」もあろうが……。

 と言うか、オレがかつて自分の幸せを手にしようとしなかったのが、一番いけなかったような。だから今もなお、いじいじと絵を描いているし。描く事自体は悪くないと思うんだけど前述の回り道や、いろんな障壁により上手くいかなかったのが、こたえていてなあ。さりとて筆を折っても、いい事ないしなあ……。いや待て、「筆を折る」とか考えるのがおかしい。「絵を通して社会と繋がりたい」と言って来た者がそんな事を急に言い出すのも、過去の障壁たる家族のせいだ! 親父は「見切りをつけろ、見切りをつけろ」とうるさかったし。当時味方も相談相手もいなかったから、親父に言われた事が呪いになっていてなあ。いや、もう親父は死んだんだ、怯える事はない。なぜあの頃、絵を描く事に対する味方や相談相手がいなかったんだと言う慚愧の念はあるが。どうにもならない回り道をして、道を見失ったんかなあ? だとしても、描いて道を切り開くしかねえ。今、長らく止まっていた自分の中の時間が、やっと動き出したことだ。

*1:時系列としては、ゲーセンでの悶着のあと。