走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

「手がゴムマリだから出来ないんだ!」

 題名は『ドラえもん』の「あやとり世界」と言う話で、あやとりが全ての世界で我が世の春を謳歌するのび太ドラえもんにあやとりを勧めたところ、怒りながら返された台詞である。あの話、ガキの頃はドラえもんに元の世界に戻されたのび太が不憫だったけど、今となってはドラえもんの方に同情する。何かがドグマと化した時、そこからこぼれ落ちた者は地獄であるからのう……。オレもその地獄を見たひとりだ。それは今はおいといて、以前「人権感覚にあふれたドラえもん」みたいな二次創作と言うよりキャラを剽窃したお説教マンガがツイッターに流れて来たが、本家の方が今さかんに言われている「多様性」に、より踏み込んでいたとは。だって、あやとり世界にもあやとりが出来なかったり苦手だったりする者はいるはずで、それをドラえもんの一言で描いたんだぜ? 藤子Fの方が、役者が何枚も上だったか。

 ここからは、ちょっと長い余談になる。「何かがドグマと化した時、そこからこぼれ落ちた者が見る地獄」についてだ。オレは義務教育時代、児童・生徒の社会のある種の階層*1では低く扱われていた。体力がある奴が自然と偉い事になる、児童・生徒の社会ではなあ。そんなオレがオタク化するのは、ある意味必然だったのかも知れん。体力至上でヤンキーやそれに近い者が多い中学時代において、そんな価値観とは真逆の世界に惹かれたと言うか。しかし最近、オタクの世界もなんかおかしい。「オタクは保守で当然」とか言い出す者が出たりな。そう言い出したら、オタク社会にも政治的なドグマが出来てしまうではないか。何考えてんだ。しかしどうにかして、オタクかつ「サヨクキチガイ」として生きられる社会を確保せねばとも思う。また前述の地獄を見とうはない。オレだっていつもマイノリティと言うわけではなく、ヘテロセクシュアルの中年男性と言うくくりにしてしまえば、サイレント・マジョリティを構成する者のひとりになる事もあろう。だからと言って、オタクで「非モテ」で精神病者で金がないと言う、弱者の満貫みたいな側面を「他人に」切り捨てられたくはない。より弱い者にどう当たるかは、意識せんといかんのだろうけど。……こんな余談をせず、ドラえもんの話として一貫させた方がよかったか。うーむ……。

*1:スクールカーストと言う言葉は、当時なかった。