走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

創作者へのヘンな不信と、「オレならこうする」の悪魔合体

 2月16日の『ゲゲゲの鬼太郎』が「時間を巻き戻して事態を解決する」と言うのとゾンビものの側面もあると言う、オレの苦手な展開が二倍で、見ていて辛かった……。ゾンビものについてはさておき「時間を巻き戻して事態を解決する」のが苦手になったのは、居村眞二の『ウルトラ超伝説』の第二部「アンドロ超戦士」編からだ。その前に、つのだじろうの『メギドの火』を読んだもので。『メギドの火』は「時間を巻き戻して事態を解決する」わけではないが酷い終わり方な上、作画の半分が居村だったのが影響してて。『ウルトラ超伝説』の「アンドロ超戦士」編を読んでても「アンドロ超戦士が負ける、バッドエンド*1になるんじゃないか?」と不安に……。しかもその頃「アンドロ超戦士」編の最終回、読み損ねた。これが長らく尾を引いて、のちにジョジョ第4部の終盤も読んでてげんなりした。そうでなくても「時間を巻き戻して事態を解決する」と言うのは「打つ手がなくなった」と同義ではないかと言う気が……。藤子・F・不二雄も『のび太と鉄人兵団』で似たような展開をやったのに対し「頭悪いね、ボク」と言ってた*2し。『メギドの火』の件に前後して、兄貴に酷い話が多いSF短編小説を読まされ「もしかしたら創作者なんて、バッドエンドばかり望んでいるひねくれ者ばっかりなんじゃないか?」と言う、ヘンな不信感がオレの奥底に。かてて加えて、酷い話に対し「オレならどう、この事態にならない展開に出来るかなあ?」と考える癖もあってねー。

 だが、前述のヘンな不信感と「オレならこうする」の悪魔合体が、オレの創作への原動力のひとつでもあるんだろう。これでどこぞのラーメンハゲのように、受け手まで信じてなかったら、マトモな作品が出来るわけはなかろうと言う気もして来たが。創作者へのヘンな不信がありながら、創作したいと思うようになったのは、前述の悪魔合体が突き動かしているのと、それでも信用出来る創作者がいるのとなんだろうねえ……。創作物と創作者全てを憎んでいては、自分の中で悪魔合体も起きなかったろうし。書いてて、我ながらなんてややこしい性格してるんだと。創作なんて面倒かつややこしい事をしたがる者に、ややこしい側面があるのも当然ではと言う気もするが、それはそれで偏見やでと、少し思う。

 ところで「時間を巻き戻して事態を解決する」と厳密には言えないが、タイムパラドックスくそ食らえな話と言えば『ゴジラVSキングギドラ』と『時空戦士スピルバン』があった。前者はあさりよしとおを激怒させ、後者は剄文社版『全怪獣怪人』下巻で「最終回だけは、どうにも納得の行かない限りなく夢落ちに近い話で、いただけなかった」とまで言われてたな。スピルバンに関しては「あれだから時空戦士なのか」と……無理に納得しても仕方ないか。

 それはそうと、今さら遅いが、2月16日にツイッターで『ゲゲゲの鬼太郎』スタッフに対し暴言を吐いてしもうた……。その時、つくづく自分がいやに。せめてこう言っていればよかった……。

「現代性をブースト」って、こう言う事か……。わたしゃ鬼太郎が見たいんであって『がっこうぐらし!』が見たいわけじゃないんじゃい。泣けるぜ。

*1:と言う言葉は、当時知らんかったが。

*2:余談だが『ドラえもん』本編のような、ハナッから歴史改変である事が承知されてる話は、オレは苦手ではない。