ツイッターだの世の中だのが荒廃しているように喧伝していたが、むしろ荒廃していたのは、オレの内心だったのではなかろうかと……。オレの生きていた環境が長らく悪すぎて、気がつけばかなり世の中や物事を悪く取るようになっていたのは間違いない。今は環境がずいぶんマシになっているんだから、あまりいじけんでもよかったような。ツイッターや世の中に問題がないとは言わないが、オレの内心の荒廃に立ち向かわんと、客観的な状況をよくする事は出来やせんわい。
オレの内心の荒廃とは何かと言うと、不必要に世の中などを悪くとったりする事だ。そうなるには、それなりに理由はあるのだが、クダクダしくなるから割愛する。と、書いていたら、暗い過去が芋づる式に出て来て辛くなった。距離的な意味で身近に、慰めてくれる者もおらんしねえ。「あ、また話がそこに」と言われそうだが、人間関係で酷い目に遭いまくり、気がつけば抜き差しならない事になったら、何度でも言いたくなるわよ……。なんでこんなクソみたいな人生なんだ、いっそひとおもいに……っておい! そう言うところが、内心の荒廃だっちうねん。せっかく環境がマシになっているんだ、早まった真似はするなよオレ。今は治療に専念……って、どうすりゃこれ以上持病がよくなるんだ。確かにAdobeのイラストレーターを使った作業が出来るようにはなったが、他の面はまだ不安定じゃないか。焦って寛解するような持病ではないが、治療が16年も続いては……。これは別に不必要に物事を悪くとっているわけじゃない、今の病状を出来るだけ客観的に捉えようとした故の結論である。病状を悪化させないようにするため、ツイッターのタイムラインを見るのを控えたりはしているが、まだ効果はない。前にも書いたけど、ツイッターのいろんなツイートを見ていると、そのツイ主と繋がったような錯覚をしてなあ。どんだけさみしい人生なんだ、オレは。その「繋がったような錯覚」が、いろんな意見や罵声や煽りを見た時にいらんダメージを与える事になったのかも知れないが。あと、オレの話をマトモに聞いてくれる者が、ツイッターに少ない*1のもこたえた。いくら言っても、クソリプすらめったに来ないようでは。内輪の冗談とかは、まあ聞いてもらえるけど。「何をそんなに焦ってるんだよ」とツッコミが入りそうだが、まだツイッター全体がサービス終了と言う手遅れにならないうちに、意見を言っときたかったんだよ。別の意味で手遅れな気はするが。
話をまとめるが、オレは孤立が長すぎたり客観的な状況が悪すぎたりして、あまりにも内心が荒廃してしもうた。先ほどの段落を見れば分かるだろう? 悲観ばっかりで、マトモに動けねえんだから。確かに内心の荒廃だけじゃなく、持病と言う足枷もあるが……。それはたぶん両輪なんだろう。どちらかだけをなんとかしようと言うわけにはいかないのかも知れない。
*1:他の場でも、リアルでも多くないけど。