走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

急に涙が

 32年前、ゲーム誌の読者欄に載っていたイラストの事など自分が興味ある事を話し合える友達がおらんかったせいで、とても苦しい思いをしたのを思い出したら急に涙が。こうやって辛い過去を反芻してるから、人生は楽しくないやら持病は良くならんやら。とは言え、辛かった過去を克服出来てないのも事実だ。どうしたものやら。辛い過去に溺れないようにするしかないが、それが難しい。と言うか、辛い過去を反芻してるから余計に辛いと気付いたのは昨日だぞ。昨日今日で、人が豹変するものかい。

 ところで、オレが何度も「笑う門には福来る」と言う言葉を信じないと言って来たかだが、実践してもいい事なかったもん。だから泣こうが笑おうが、客観的な状況が良くならないと幸せにはなれんと……。一方で、32年前オレがあまりに自分の好きな事や興味ある事などをやると悪い事が起きると言う「前後即因果の誤謬」に基づいたジンクスを信じてしまったのもまずかったと、今では思う。この辺いくら蒸し返しても、過去が都合よいほうに書き換わるわけではないが、判断材料の少ない状態ではワケの分からないオカルトや宗教に走るのも無理はないんだと言いたい。なぜ判断材料が少なかったかについても、あの頃のオレにはどうする事も出来ない要因だったけど。ならば迂闊に反芻せず、人生楽しんだ方がどんなにか。余生と言うか自分の寿命を考えると、これ以上過去を悔やんで泣いて暮らすヒマはないと思うようになり、今を楽しむ事に心がけるしきゃねえと結論づいたのよ。亡き友惟任さんが生前「人生を楽しめ」と言って来た時には「そんな事言われてもなあ」としか思えんかった。彼は今まで生きて来られたんだから、これからもまだ人生は続くと思っていたけど、そう言われる度にオレは内心「今日まで生きて来られたからって、これから同じ時間……あるいはそれ以上……生きられるとは限らん!」と思っていた。彼が生きてるうちに直接言ってやればよかった、そうすりゃいい冥途の土産になったろうに……。あの世でオレのその言葉を噛みしめて暮らしたら、退屈ではあるまい。しかし彼の論争での切り札「そんな風に考えるな!」が出て、おしまいだったかも知れん、ウーム……。ともあれ、あの頃よりオレの寿命は減っているのは確かなんで、過去を悔やんで泣いて暮らすわけには行かなくなったのは事実だ。だから人生を楽しみたいんだけど、肉体の衰えや持病による感情の鈍麻など、不安要素は大きい。ゲーム*1してても、ぼんやりしてミスをする事が多くなったし、テレビとか動画とか言った受動的な娯楽も、まだまだキツい。なんでここまで衰える前に、人生を楽しむ事に貪欲になれんかったのか。持病などが、世の中への恐怖を増幅させたのが大きいんだが。また惟任さんの話になるけど、彼に「オレは世の中が恐ろしいんだ!」と言ったら「それがいけないんです、世の中を楽しくやる事が大事なんです」と言われた事が。その時は「何の回答にもなっとらんわ!」と思ったけど、上手く言語化出来んかった。と言うか、オレが今まで感じていた世の中への恐怖を、惟任さんばかりか誰にも上手く説明出来んかったぞ! それで諦念が生まれ、誰とも話をしたくないと思っていた事もあった。いったいどうすりゃ、人生を楽しい方向に軌道修正出来るんだ……。ここまでのこの記事を見るに、あまりに酷すぎる……。

 人生を楽しむ事はもう出来んから、恨みのある相手に復讐をして死のうかとまで思い詰めた事もあったが、それこそ「余計な事」だよな……。そう思ったらだいぶ気は楽になったので、人生を楽しもうと言う余裕も生まれたんだが、世の中への恐怖が雲散霧消したわけではないのです! 世の中への恐怖を抱えてても楽しめる事って、あるんか? それは、数少ない友人知人に聞いて回ろう。答えがあるかどうか分からんけど、判断材料全くなしに人生を楽しむのは無理な気がするので……って、こんな愚痴を垂れてる間に、また寿命が減った~! これから、もうちょっといい趣味を探そう……。

*1:アクションやシューティング。