走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

今はそれを誇れる

a-katu.hatenablog.com

 上記記事で、大藤と言う会社のみやげ物の箱のデザインの雰囲気を察した事を「なんでヘンな事に目が行くんだ」と恥じていたが、今はそれを誇ってもいいんじゃないかと、考えが変わった。サブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)でAdobeイラストレーターと言うソフトを学び、そこからデザインについての勉強もさせてもらったら「デザインの雰囲気」を察せると言うのは、そう言う方面での武器であろうと。オレはいつも「自分や世の中の将来が明るいものとは思えない」と考えていたが、それは早計だったかと思うとね。確かに上記記事を書いた時点では、自分が50の声を聴くまで生きていられるとも思ってなかったし、そこまで行かんでもサブカルBCで自分がどうなるかさえ分からなかった。しかしそれは、あまりにいじけすぎではないかと。いじけて生きるだけの事が、オレの人生には多かったけどよ……。

 それはいいのだが、今は「オレの人生どんだけ貧乏くじ引いていたんだよ」と言う、やるせない気持ちもある。そこら辺を言うと暗い話の繰り言にしかならんから、この記事では出来るだけ言わんけど。話を戻して、オレは自分の能力を活かせる場に、なかなか出会えんかった。警備員時代、亡き友惟任さんに「今の仕事に誇りを持てないのなら、今すぐやめろ!」と言われた事もあったが、当時は誇りうんぬんでなく、さっぱり仕事にありつけんかったから仕方なくしがみついていたのでね。そこを惟任さんに言っても、話がこじれただけだろうが……。警備員をやっていたからサブカルBCにも入れた*1と言えるので、塞翁が馬なんだろうけど。惟任さんからは「誰もが天職に就けるわけではない」とも言われたが、向いてない仕事ばっかりやっていじけたオレには酷な言葉ではないか。当時口には出せんかったけど。いかん。このままだと、話が惟任さんで終わってしまう。正直、長らく自分がどう生きればいいのか分からんだけでなく、家族の目を意識して萎縮し、自分の人生を自分で生きてなかったのもあって、苦しい思いは続いていた。サブカルBCで転機を迎えられなかったら、今頃セルフネグレクトと、その最大の原因たる自暴自棄とで、死ぬか抜き差しならない事になってたよ。今や自分の状況は大きく好転したが、それを維持出来る力がどの程度あるかは分からない。せめてなるたけ長く、この状況が続く事を祈る……。

*1:ややこしいので、詳述はしないけど。