アメリカでは出来ない表現が日本では出来るって事は勝ってるって事だから。
— 恐怖の煩悩人間 (@n0b0dy_lovesme) 2019年10月25日
っていうかチェーンソーで人をぶった切ったり顔面をショットガンで撃ったり出来るゲームがOKで女の子と水着で遊んだりするゲームがダメって倫理観おかしいってマジで。 https://t.co/S3nc5FWx69
表現規制をしたい者にそんな事を言っても、「じゃあ両方規制しましょう」になるからアレだが、気持ちはとても分かる。と言うのも、むかし『THEプレイステーション』と言うゲーム誌に、流血シーンや残酷シーンのあるゲームをヒーホヒーホと喜びながら、反対にいわゆる「ギャルゲー」をけなすウエノミツアキとか言うバカがいたが、そいつを苦々しく思ってたからなあ。オレには奴を、どうする事も出来んかったけどな。しかしなー、ウエノミツアキレベルの考えで表現規制されてもねえ……。正直、ツイッターにもそんな輩少なくないのでは。だから頭を抱えているんじゃねえか! 今もオレには、何をどうする力がないんだから……。賛同者を集める事も、聞いてもらえるような言葉を紡ぐ事も出来ないんだからな。
……いかん、最近この手の話題になると、げんなりするばかりだ。今や規制派からも反対派からも嫌われている、「卑怯なコウモリ」だからなー。と、書いて放置してたら、岩渕潤子が宇崎ちゃん献血ポスターについてあんまりな事を発言していた。正直、「くそったれ、言わんこっちゃない」以外にコメントする気になれない。もっともらしい事を言いながら、内実は好き嫌いでしかないのではと思っていたら、案の定。当分ツイッターのタイムライン見たくない、どいつもこいつもロクなもんじゃねえ!