私も最近恨みつらみに支配されていたので、好きを総動員して恨みつらみを追い出そう。 #rccrp
— 克森淳 (@a_katu) 2019年7月18日
上記ツイートは、広島のラジオ番組『ラジプリズム』の部長(パーソナリティ)が京アニ焼き討ちについて述べたあとに、「人生、ネガティブな気持などで自分の中がいっぱいにいる事があるが、そうなる前に自分の好きをたくさん集めてネガティブな気持ちが入り込む余地を与えないようにしないと」みたく言っていたのを受けて、番組のハッシュタグに投稿したものである。こうは言ったものの、自分が「好き」の力を信じ切っていないのを思い出してしまって。長年いろんな奴から自分の「好き」を蹂躙されてしまい、「好き」が無力なのではないかと思うようになったと言うか。実際は、そんな事なかったんだけども。なぜそう思ったのかって? むかし好きだったものを今も好きでいられてるから、まだ人生を完全にあきらめてないからとしか。オレの人生、恨みつらみを募らせてばかりでもなかったからな。
とは言え、「好き」を蹂躙された事を思うと辛い……。と言うか、「好き」を忌憚なく語れる相手になかなか出会えんかったし、出会えても上手く付き合えなかったし……。これ以上「好き」を蹂躙された事を掘り下げると、恨みつらみしか出て来ないので、触れない。
しかし「好き」を蹂躙されたり語れなかったりした時期が長かったため、いろいろこじれたのも事実だ。語るのでなく好きなキャラの絵を描く事で人と繋がれないかやってみたが、二次創作よりオリキャラを描くのが楽しくなったりしたし。いや、これはこじれたとは言わんか。むしろ「好き」の力が自分をより上……と言うとやや語弊があるから、創作の幅を広げたと言った方がいいか……に押し上げたのかも知れない。なんか話があっちこっちへ行っている気がするが、ヤハリ「好き」を蹂躙されて来た時期の事をまだ引きずっているのか。触れたくないけど。触れると、受けが悪いもんな。
あと、持病のせいで楽しみが減って、語れる「好き」も少なくなってしまった。悔しい。あと、怨念渦巻くツイッターにふけっていたのもよくなかった。あそこで消耗して、いろいろ楽しくなくなったし。それでも我がタイムラインにおける京アニ焼き討ちについての見解は、理不尽な暴力に対する怒りが中心だったから、ヤフーやabemaのニュースコメントよりは遥かにマシなんだけど。いえね、ヤフーやabemaのニュースコメント見て消耗した人の話もタイムラインに出て来たので。