a-katu.hatenablog.com
a-katu.hatenablog.com
上記の2記事で紹介したイモや、(いちいち言及した過去記事を挙げないけど)一連の「萌え絵」叩きに対する怒りもまた、オレが「絵を通して社会と繋がりたい」からなんだろうなと。自分が「絵を通して社会と繋がりたい」から、描きたい絵を叩く者や、絵を描く事そのものに理解のない連中に怒るのだ。それは今はおいといて、前にも書いたが「絵を通して社会と繋がりたい」と言う気持ちにもっと早くから自覚的であれば、いろいろ自分が何をどうしたいかも考える事が出来たろうに……。何故こう、行動が後手後手なんだ。
話を戻して、もうツイッターでの「萌え絵」叩きにはついていけない。腹は立つが、言ってどうにもならない奴らばっかりだもんなあ……。いっそのこと、連中に殺されでもした方が、まだあきらめがつく。これ以上、自分を偽って生きても楽しくも生きた心地もしないからな。しかしそう言うと向こうはいきなり常識人ヅラして、殺意を否定して来かねん。今さらお前らが常識人ヅラしても、間に合わねえんだよ! ……失礼しました、取り乱しました。正直こんな所で出来の悪い豆腐みたいにぐずぐずと言ってるより、一枚でも好きな絵を描いて世に問うた方がマシだ。しかし、今まで言いたい放題言われて来て、ストレスは溜まるだけ溜まっているのだ。こっちが何言っても誰もマトモに聞いちゃくれないしねえ、ツイッターでもシカトされてるしさあ。ダメモトでツイッターでも論陣を張るか、しかし理論武装したところで通用しないのは過去のもめ事を俯瞰したら分かるしなあ。
ところで、上記記事などで「文句言う前に自分で作ったらどうかね」みたく言っていたら、兼光ダニエル真さんが下記のツイートを書いた事を知った。
既存の作品に不満あるのであれば、新たな表現を追及するのが良いと思います。そうすることで新天地が切り開けると信じています。文化の豊かさは引き算ではなく、足し算によって成り立つものなのではないでしょうか。私はそう信じています。
— 兼光ダニエル真 (@dankanemitsu) 2018年10月26日
兼光さんほどの訴求力があるわけじゃないが、オレも事態がここまでこじれる前に、「ツイッターで」マメに言っていればよかった……。ブログで言っていても、ツイッター以上の独り言だった。それはそうと、兼光さんのこの言葉、オレにもある程度当てはまるんだよな。前述の通り、一枚でも絵を描いている方がまだ建設的だ。
どんどんしょっぱい話になって行くので、気分転換に『アカリがやってきたぞっ』はいかがかな? 「ガタンゴトン、ガタンゴトン」が可愛くてねえ。