青木雄二は生前、「少子化が続いている以上、国民年金は破綻するやろ。お前ら*1の世話にはならんから、払わんでええようにしてくれ」とか言って年金を払わないで済むようにしていた。確かに、国の世話になる前に青木は死んだが……。
青木のこの言葉で連想した二件を、以下書き連ねる。オレが警備員の仕事に就いていた頃、一緒の現場になった同僚のおっさん(オレもおっさんだが)が、「年金払っているのか?」と聞いて来た。オレは正社員待遇だったので、払っていると言ったら、「そんなもん払うより、貯金した方がいいんじゃないか」と言った。その頃友人に障害年金もらっているのがいたので、今もらっているそう言う人のために払うと言う考えもあるんじゃないかと思ったが、そのおっさんには理解出来そうになかったのでやめた。何故かって? 同僚のおっさんは気に入らない相手を「かたわ」だの「キチガイ」だのと罵るやら、現場で同僚や現場監督とケンカするやら、現場の近くを通る女性にいやらしげに声をかけるやら……。と、枚挙にいとまがないほど愚行をする人物だったので。
そしてもうひとつは、相模原の障害者大量殺傷事件の植松被告。奴は社会保障が国の財政を圧迫していると、かたくなに信じている。
青木雄二も一緒の現場になったおっさんも植松被告も、社会保障を誤解している(していた)としか思えない。飯田泰之さんを気取るつもりはないが、社会保障とは国の保険でもあるのだ。保険は「一人は万人のために、万人は一人のために」っつーし、年金は前述の通り、さまざまな理由で高齢者以外ももらっているし。これをいきなりなしにでもしたら、それはそれで弊害百出の修羅道。青木の言うように、今のままでは限界が来るかも知れないが、その辺は『キミのお金はどこに消えるのか』に何か描いているだろ。オレは経済に明るくないから、同書をどう評価していいのか分からんので手を出してないけど。
「明るくないから、提灯借りに来た」
いや、そうではない。さておき、『キミのお金はどこに消えるのか』では、マルクスを語る時『ナニワ金融道』のパロディを(絵柄も近付けて)やってたけどな。そこはブログ版と立ち読みで少し読んだ。「マルクスは数字に弱かった」と言うのを、それで知ったんだが。マルクスが数字に弱かったとしても、資本主義か端緒についた時、その矛盾と限界に注目して警鐘を鳴らしたのは、評価出来るのではなかろうか? と、「サヨクのキチガイ」と亡き友に言われたオレは思う。
しかしなー、青木は共産党支持者だからまた違うのかも知れない*2けど、同僚のおっさんも植松被告も、身勝手だよなあ。両名とも、社会保障に銭を出さなくていいと思っている点は一緒。植松被告はそう信じて、殺傷事件を引き起こしたから、同僚のおっさんより性質が悪いのだが。
上記の記事に、飯田泰之さんが植松被告を批判している事を書いた。経済に明るくないオレも、植松被告が間違っているとは言えるので、飯田さんに同意する。同僚のおっさんや植松被告みたいな考えをしている者が多いと、社会保障の改良なんてトテモトテモ。
《「役に立つ」ことばかり考えている人間は、卑しい人間ではないか》…三島由紀夫 pic.twitter.com/KzNtIfNYcS
— BON (@1632bdkrst) 2018年10月30日
このツイートに引用されている三島由紀夫の言葉の出典とか分からないけど、自分が「役に立ちたい」と思う考えが行き過ぎると、三島には見苦しく映ったようで。確かに言われてみればねえ。ましてや「役に立たない」者を選別して殺した植松被告は、見苦しいどころの騒ぎじゃすまないような……。社会保障の改良にも邪魔だ! この! ……それはそうと、『キミのお金はどこに消えるのか』の初版の(と思われる)帯には、「日本は当面大丈夫! お金が回ればもっと大丈夫!」とか書かれていた。経済に明るくないオレとしては、「へー、そんなもんなんだ」以上の感想が出ないが、極端かつ間違った植松被告の行動に比べれば随分説得力があると思う。