こんなツイートをした。
オレはツイッターに向かんのかもな。なんのかんのと言ってもSNSだから、ぼっちなオレには向かんのかも。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年11月11日
ぼっちと言うか「ぼっち体質」な。ぼっちぼっち、ぼっちぼっち、ウヒャヒャー、キキキ。タッタカター、うひゃひゃのキキキ! ……不安とさみしさに押し潰されそうだからって、狂うな。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年11月11日
ツイッターも結局「内輪の繋がり」がものを言うSNSだから、もとより人との繋がりが薄い過酸化水素水……じゃなくて、繋がりが薄いオレには、根本的に向いてないみたいで。なんでそれに、もっと早く気づかなかったんだオレは。マー、ツイッターは「話しかけてもらえている」錯覚が強いしねえ。
人との繋がりうんぬんで言うなら、絵を発表すると言う行為で繋がるpixivの方がどんなにか。最近、絵を出せてないけどさ。それはさておき、オレが根本的にツイッターに向いてないのに気づき、少々愕然としている。そんなに人間関係希薄やったんかい、オレはと……。こう考えてるのは、他者への恐れの裏返しでもあるが、そこは長くなるのでごちゃごちゃ言わない。人間関係でババ掴んだ事の多さで、臆病すぎてるのかも。いずれにせよ、今あちこちにある人間関係は大切にせんと。それをツイッターで集約しきれてない気がして、不安になりこんな記事を書いたんだが。
それにしても、もうすぐ50だと言うのに人間関係が希薄な気はしている。地元に顔見知りさえほとんどおらんし、ネット上の付き合いとて広くはない。それで人生を後悔している時に「ツイッターもSNSだから『内輪の繋がり』が希薄だと上手く使えない」と言う点に気づいてしまい、激しく動揺したが今は落ち着いた。あまり人間関係が希薄だとか言うと、付き合ってくれている人たちに失礼ではないかと思ったらね。とは言え、これからツイッターをどう使うかについては、悩むけど。