昨日書いたあと、さらに色々話が出て来たが、容疑者はムシのいい事を言っているから、精神鑑定しても心神喪失には出来まい。
しかし事件後に新しい戸籍を用意してくれと衆院議長だかに頼んでいたが、新しい名前をその手紙に書いていたら戸籍を変え(そんな事出来やしないけど)ても意味ないではないか。狂ってはいないが痴れ者だ、あいつは。そんな痴れ者に殺された人たちの魂に、合掌。
話を戻して。容疑者はネット上で、精神的になんらかの障害を疑われてもいるが、ただのバカか痴れ者と考えた方がいいような気がして来た。教員になりたいと言いつつ刺青入れたり、やっている事が支離滅裂だし。あと、また話がやや外れるが、容疑者がツイッターで「ネトウヨ」ご用達のアカウントをいくつもフォローしていたけど、その中のひとり石井孝明がフォローされていた事を「気持ち悪い」と言っていたのには呆れた。事件を起こしたからそんな事言えるのであって、それを予測出来た者はツイッターにいない。なのに「気持ち悪い」とまで言うなら、石井がツイッターしなきゃいいのである。
繰り返すが、この事件についてはオレは被害者の視点からも加害者の視点からも見ている。加害者の視点から見るに、オレが早まった真似をしなくてよかったと思う。必ず曲がって飛ぶ、憎しみの矢を放つわけにはいかんものな。そして、被害者の視点。オレも住み込みの授産施設を医者に勧められていたが、行かなくてよかった。どのみち今住んでる所をどうするかの問題があって断ったが、もしかしたら似たような事件に巻き込まれない保証はないし。オレ、広島県民だけど。
とりあえず今のところはここまで。ただ、これ以上書くのは辛いなあ。自己嫌悪を掘り返す事になるだけだし、事件は法曹にゆだねるしかない。そうだ、『創(つくる)』の編集部さんよ。容疑者の手記とかいらんから、この事件に関しては。