上記記事の続きの前にひとつ。うーん、下記記事に書いた事を「オレのマンガ道ほえほえ編その2」にしてもよかったか。でも、思いついてすぐ書きたかった話だものなあ。
それはそれとして、この数年『ちくワワ』はじめ多くのマンガを描いていて、それはアマチュアとしては結構な量になる。これだけ描けるのなら、何故もっと早くと思ったけど、オレはサブカルビジネスセンター(以下、サブカルBC)に通うまで、創作も自分自身もどうにもならなかったのを忘れていた。くおお。そこを素で忘れていたんだよ、この段落書くまで。でもサブカルBCに通ってなかったら、この数年間の創作物はあったかしら。スキル的にも、心構え的にも、出来なかったのは間違いなく……。マー、親父が生前「(描く事に)見切りを付けろ、見切りを付けろ」とうるさかった事で萎縮した時期を、長い事引きずっていたものねー。ここまでは折に触れて言って来た事だが、親父の生前の小言に萎縮したのは「創作で一山当てよう」と思っていた裏返しな気が、最近はして来た。今と違って、継続的に絵やマンガを描いて発表する場が少なかった*1時代だったのもあるけど、オレの山っ気が邪魔していたのも否定は出来ん。近年の執筆量は、前述の「創作で一山当てよう」と言う考えや山っ気が消えたか薄らいだかで、楽になったのもあるかも知れない。その反面「才を走らす火」としての欲が弱くなったんだけど、そこは詳述しない。
山っ気が消えたか薄らいだ事で「アマチュア創作者の多くは赤字で、自分も赤字を抱えてやってるひとり」と言う現実を受け入れる事が出来て、開き直りが出たとも言える。親父がうるさかった頃は、そうもいかんかったからな……。ここまで書いて思ったが、オレはあまりに親父はじめ家族の顔色をうかがいすぎ。そりゃ、怒ったら何されるか分からん恐怖が強かったのもあったけど。……書いてて苦しくなって来た、過去を見るとだいたいこうだ。そこは下記記事に書いたように、なんとかなりそうだけど。
(続く)
*1:あるいは、あってもそれなりに金が必要だった。