ツイッターでやってた「創作する人への30の質問」のオレなりの回答をまとめ、補足説明なども書いてみる。
#創作する人への30の質問
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
オレもやるぞ。「いいね」がつこうが、つくまいが。 pic.twitter.com/833XRSoPgi
1.ガキの頃から絵は描いていたが、1989年の宮崎勤逮捕からはじまったマス・ヒステリーとモラルパニックへの義憤が、本格的に創作させるきっかけだった。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
2.「世界」が広がった。想像の世界も、現実世界での行動範囲も。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
3.最近は「ふてくされた態度は取らない」事を意識しているかな。それは創作する時、とんでもない障壁になると気づいたので。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
4.考えて作ってる。感性は、そのための裏打ちに必要だと思うけど。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
5.人から「ほのぼのしている」「優しい感じがする」「読んでて嫌な気分にならない」とか言われるんで、それが強みなんだろう。反対に言えば、嫌な話や何かを糾弾するような話にはオレの作風は合わんと言う事であって、弱みはそっちか。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
6.作品によって、見てもらいたいものは違うので一番はないかな。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
7.2002年に、今は亡き友の同人誌に描いた『ロボット王女』が今のところは。21世紀のオレの創作において、いろいろ契機になったので。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
8.サブカルビジネスセンターで描いてる『精神障がいエッセイマンガ』は、精神障がい者として言いたい事を訴えるチャンスが来たから乗っかったと言うか。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
9.ありますよ、生きてるうちに描けるか分からんけど。その危惧が、サブカルビジネスセンターで『ある日の乗鞍家』を描かせたのはある。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
10.あるにはあるけど、作品ごとに違うし言語化出来るわけじゃない。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月20日
11.作家だと『風雲児たち』以降のみなもと太郎。作品は魔夜峰央の『パタリロ!』になる。どちらも「マンガらしいマンガ」を体現してる作家、作品なので。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月21日
12.SNKの『アテナ攻略マニュアル』に載ったランプティ氏のゲーム紹介マンガ。「強い女の子」の魅力に気づいたっつーか。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月21日
13.藤子・F・不二雄のSF短編群。ただし、いい意味ではない。詳述はせんがな……。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月21日
14.分けようがない。どこかで繋がっていると思うので。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月21日
15.むかしは参考にしないと意地を張っていたが、今はサルバドール・ダリの「何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない」と言う言葉にならい、参考にしてる。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月21日
16.そりゃ、なんと言っても描いたものが褒められる時ですよ。あと、自分の想像が形になる時。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月22日
17.描いたものをけなされた時が、一番辛い。酷い時にはかつて同人CG集を出した時、買わなければ書き込めない登録サイトの感想欄にわざわざ悪口書いて来た奴がいたぞ! その執念が、ちょっと怖かった。創作による体力の消耗は、これに比べりゃ辛くない。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月22日
18.「これがこうなったら面白かろう」みたいな事を思いつくと、するすると。あと、どちらかと言うと行き当たりばったりで描く事も少なくない。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月22日
19.何日から何日までとか、1日にこれだけ描くみたいな意味での計画はあまり。その意味ではやる気任せかも。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月22日
20.何度か。白紙を前にすると急に「降りてくる」事もあるし、夢の中にヒントがある事も。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月22日
21.「あえて……寝るっ!」(島本和彦風に)
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月23日
いえね、無理して描いてもいい結果が出ない時は「描く事」から離れるしかなくて。生きる事総体へのリソースも少ないから。
22.描く時罵声の幻聴が聞こえたりした時があったのを参考に、とにかく気が滅入る事を考えないようにしている。持病の統合失調症だけでもきついのに、さらに自分を追い込む事はない。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月23日
23.音楽を聴く。BGMを流しつつ絵を描けるスペックのパソコンを使ってなかった時期が長かったのと、気持ちを鼓舞する曲は意外と描くのを妨げるため、絵やマンガを描くのとは分けるようになった。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月23日
24.そんなものはやらん!
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月23日
25.描画ソフトを走らせるパソコンのスペックとか、基本的な事はこだわった。アナログの画材も、結構こだわってるところはあったし。金に糸目を付けねば、なんぼでもいい道具が手に入りそうだが、そこまでお大尽じゃない。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月23日
26.今のオレ「だけ」で創作物を金に換えるのは非常に難しいから、趣味と割り切っている。東京大阪の同人イベントに出られなくなってから、ずっとそう思ってるよ。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月24日
27.早い段階で人生が抜き差しならなくなったのは確実で、最悪今頃この世にいなかったかも。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月24日
28.言うなれば、杖のようなもの。人生と言う道を歩くために、頼りにしていると言うか。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月24日
29.作品集とポートフォリオを作りたい。pixivに後者を任せていたところもあったが、ちょっと心もとなく。作品集もポートフォリオも、広く作品を見てもらうために要りそうで。
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月24日
30.創作物が世にある限り、我が魂は不滅じゃっ!
— 克森淳(a.k.a.新豊玉三郎) (@a_katu) 2021年4月24日
と言うわけで、ここからは回答の補足説明をば。まず2問目の「世界」が広がったと言う点は、現実世界でも創作のために見聞きする範囲は確実に広がっていたので、ああ言う回答に。それがなかったら、もっと行動範囲は狭かったと思う。そして、後述するけど生きるのも手詰まりに……。
3問目の「ふて腐れた態度」うんぬんは、かつてのような自暴自棄をやめると言うか。結構酷かった時期があって、その頃は「もう、これ以上何を描いても無駄だ」とさえ思っていて、筆をとる事すら出来んかったし。
9問目。何を描きたいかはあっても、それを具体的に描く事を尻込みしていた時期が長かったので、あんな回答に。でも、やるしかないか。時間がねえ……。
14問目だけど、これは松本零士が弟子の新谷かおるに少女マンガからの転向をさせるために言った「男は、20歳過ぎるとスケベになり、女の子の喜ぶ男を描く事は出来なくなる。それが出来るのは相当のテクニシャンか、ものすごい変態だ。このまま続けてたらダメになるぞ!」と言う言葉にも通じているかも。「心にもない事」を描き続けられる者はそうそういないと言うか……。長くなりそうなので、ツイートでは言及出来んかったけど。
19問目。「何日から何日まで、これだけ描く」ためには、何度も言うように「締め切り」がね……。オレは同人イベントから離れたから、本を出すにも出せんし、ここら辺ずっと頭を痛めている。これは9問目の補足説明とも関わって来るんだけど、どうしたらいいのか。
22問目。持病のせいなどで、描いてる時罵声の幻聴や辛い過去のフラッシュバックが来たりして集中が出来ない事が増えたため、さらに気が滅入る事を考えつつ描くのはやめようと。と言うか、創作してる時に限らず、何かにつけ自己嫌悪が来るのが辛いのよ。これで描きたい物を描けなかった事、数知れず。
26問目。誰も彼も創作で儲けられるわけじゃないし、そのための準備が持病で難しいオレは尚さらだ。かつて同好の士とつるめない時期は、そう思っていても苦しかったけどな。
27問目。これは結構ヘビーな回答だった。2問目の回答への補足説明に書いた事と重複するけど、仮に親父が生前言ってた「見切りを付けろ」に従ってたら、自分の行動範囲はそれまで以上に狭まったのは必定。それで人生楽しかったのか? 「生きよう」と言う意志が持てたのか? と自問したら、ああなったのだけど。その裏返しで28問目の回答も、ああなったわけです。
29問目。なんらかの形で自作をまとめ見てもらいたいと言うのはあって、それで思案投げ首してはいるけど……。「けど、なんじゃい?」と言われそうだが、いろんな意味でどうすればいいのかと。たとえば二次創作を抜きにしたら、今のところ相当スカスカになりそうで。とにかく作品を描いてからの話かも知れんが、どうしたものか。
30問目。『源平討魔伝』の頼朝入ってます、ええ。笑ってよりとも。
こうして回答をまとめ、補足説明を入れると、自分が創作にどう向かい合っていたか見えて来たよ。30問目はともかく。言い訳するなと言われようが、家族の無理解や勤め先でのいらん苦労が重荷になって、相当苦しみながら創作していたのは事実だし。正直、20代の頃より今の方が創作しやすい環境だよ。……繰り返すけど、持病の統合失調症に振り回されなければ。と言うか、持病を抱えつつ今日まで生きて来て、創作までやってたオレは相当の苦労人じゃないかと。あと、やっぱり時間の捻出に頭を痛めてるな。しかし、サブカルビジネスセンター(以下、SBC)に入らなければ、生活の立て直しをしようとも思わず、創作者として尻すぼみだったんだし……。ウーム、である。
だがSBCでやってる事、しなければならない事を考えると、趣味の創作の時間があとどれくらいあるか疑問ではある。通うために心身のリソースを使わねばならず、その分消耗はしてるし。それでもやるしかあるまい、黙って死んでたまるものか。