走れ小心者 ARMADA はてなブログ版

克森淳のブログ。特にテーマもなくゆるゆると。

いかん、またも気が滅入って来た

 むかし「寂しい」と自覚出来なかったばっかりに、いろいろ「自分をどうしていいか分からない状態」になって、それ故の不幸が続いた事を思い出したせいで気が滅入って来た。ツイッターでそれをぼやく気になれないので、ここで書かせてもらう。自分が学校でも、自宅で家族といても孤独だった故の寂しさを自覚し、それを埋め合わせる行動をしていれば……。それでも孤独を埋め合わせるのには限界があったろうし、中学時代に月刊OUTで読んだ芦田豊雄の「卑屈になってまで、無理して友達になってもらう事はありません。そのうち友達が出来ます」と言う言葉に支えられたのも事実だし、何より自分の中の「空想の世界」が、むかしの自分の寂しさを埋め合わせていた事も否定出来んし。何より「寂しさを自覚し、それを埋め合わせる行動」は必ずしも「卑屈になって、ガキ社会に無理に溶け込む」事ではないし。危なかった、もう少しでむかしのガキ社会の嫌な部分に屈するところだったよ!

 マー、思春期になって「家族以外の人間関係がない」事に愕然とし、孤立している自分を悲しんではいたけど。それからの事をいろいろ思い出して、すっかり気が滅入ってしまったのだ。そりゃ過去はどうにもならないけど、人間関係構築能力が涵養されないで生きて来た悔しさはある。今、オレに付き合ってくれている方々のご厚情を思うと、尚更……。「選んだ孤独はよい孤独」にも一理あるが、半ば強制的に孤立させられたところのあるオレの場合は、そうも言いきれんところがあって。「家で起きた事は誰にもしゃべるな」「あんたの考えは世間で通用しないんだから、外では何も言うな」と家族に言われ、それを愚直に守っていたら、人間関係構築能力が育つとお思いか。もっと勉強していれば、あるいは「絵を描くと悪い事が起きる」と言うジンクスを信じ込んでなければ、人生に別の出目があったろうに。さて、過去は過去としても、これからどう生きればいいんだ。オレの将来にも、いろいろ暗雲が立ち込めているしなあ……。そう思う理由は言う気になれないけど。